HENTAI & English learning room
 
エロゲと英語のブログ
 



2007年4月を表示

獣医毒性学

なんでも実況V大学において、次は獣医毒性学の講義を行うことになったので、ここにその概要を記す。

講義名からもわかるように、「毒」の「性質」について研究する学問であるが、これが独立した学問として確立したのは比較的最近のことである。しかしその元を辿れば、歴史上に「毒」が登場したのは有史以前であり、古くは武器としての役目を担いながら、その力と重要性を誇示してきた。毒ニンジンの汁を飲んで死んだと言われるソクラテスや、最近ではトリカブトを使用した殺人事件も一時話題となった。
今現在これらの植物が毒であることが知られているのは、長年蓄えられてきた植物に関する知識、ひいては「薬」として使用される植物もまた、「薬学」としての発展を古くから支え、何を「毒」として捉え、また人体にどのような影響を及ぼすのか、様々な試行錯誤が重ねられてきた結果である。

近代以降、有機化学の発展に伴い、「毒」もまた様々な化合物が人体に及ぼす影響によるものだと判明した。これまで植物単位で研究されてきた毒の影響(人体にどのような影響を及ぼすか)を医術のひとつとして役立てようという「薬学」から、何がそのような影響を人体に及ぼすのかを研究し、毒の人体での挙動を知ろうとする「毒性学」が、ここで初めて成立した。

例えば我々が日々「発ガン物質」と言う化合物があるが、ならばこれらの化合物はなぜガン(悪性腫瘍)を発生させるのか、そしてどのようにガン細胞を発生させているのかを研究しているのが毒性学である。悪性腫瘍の発生プロセスにおけるこれらの化合物の挙動を知ることができれば、似たような化合物について、人体の暴露にに対する危険性の予知が可能であるとともに、実際に暴露した際の対処法や、新たな薬品の開発にも応用できる。

薬学の一派として知られている毒性学の研究対象は、さらに毒性物質の発見も対象としている。日本における公害の原因となった化学物質を突き止たのは、まさに毒性学の成果だと言っても過言ではない。原因と見られる多くの化学物質の中から、たった少数の原因を特定することは容易ではない。

この学問は言わずもがな、これまでの生物学の上に成り立っている非常に専門的な学問であり、我々が今後社会で生活していくにあたり、それを専門に扱う職業(医者、薬剤師、製薬会社など)でない人にとっては全く不必要な知識である。しかしながら、広い意味での現在の医学が、どのように成立し、どれだけ信頼の置けるものであるかを知り、もしこの知識が活かされるような経験があれば、今後の人生にそれを活かしていってもらえればと思うばかりである。



4月30日(月)01:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

sense off 御陵透子シナリオ

ONE~輝く季節へ~ の素晴らしさを改めて認識した。

上の作品が昨今のエロゲ業界に与えた影響は大きいが、同時に「えいえんのせかい」に対する考察は多くの異説を作り上げ、同じようなコンセプトの作品を制作することの難しさまで証明された。
ONE2を始めとして、CROSS†CHANNEL水月など、多世界的な時空の存在を認めている作品群の「難しさ」は多くのエロゲに関するシナリオコンセプトの中でもトップであるといえよう。更にこれ自体を主体とする作品となると、これに手をつけられるライターは本当に一握りの存在のみに限られ、かつ独自の倫理観と高度な哲学的思考を繰り返さなければならないという、まさに一筆入魂のシナリオ作りを心がけなければならない。

さて、この作品のシナリオを担当した元長柾木氏がこの作品を制作するにあたり、ONEの影響を受けていることは、このシナリオからも一目瞭然であるが、他の作品とは違い、そこに「泣き」を作り出すプロセスを一切省いたことは特筆すべき点である。結果的にこの作品は、その設定自体が前提で物語の進むシナリオとは異なり、「それ」が一体どこからくるものなのか、そして「それ」が私たちにとってどういうものなのかを描いた作品として完成している。
このシナリオが素晴らしいかどうかを判断する場合、外形的なシナリオプロットとその構成は大きなファクターとはならない。この人が何を書きたかったか、それをいかに相手に伝わりやすいように、かつ個性的に描くかが私の本来の評価基準であるのだが、これらは全てシナリオの流れが一様に完成されていることが大前提であり、シナリオの構成すらきちんと組み上げられていない作品は評価に値しない。この作品の場合、あまりにもいびつなシナリオ構成の上に素晴らしいバランスで積み上げられたシナリオコンセプトが見事なのであって、つまりは外形的な評価に関して見るよりも、そのほとんどの評価はシナリオコンセプトからくるものである。

元長柾木氏の考えていることは、私はあくまで元長柾木氏ではないので一生分かることは無い。それを本人が理解した上でコンセプトをあえて難しく表現したのは何故か。というより、これこそがこの作品の、特にこのシナリオに描かれている内容そのものである。すなわち、「意味がわからない」という答えをプレイヤー自信に導かせたかったのであって、ここまで到達するまでの我々の思考行動こそが、sense offの大本であると言えるだろう。

この作品に対して多くの考察サイトがあるようだが、彼らにとってこの作品は至高の作品となったことだろう。考察を好む彼らの多くは「考える」ことが自然に行える人であり、人としての自我、すなわち「個性」を持ち合わせた「正しい」タイプの人間であろう。
逆にこの作品を楽しめなかった人にとっては、シナリオライターから与えられる設問に対してそれを無視し続けた結果、この作品を難しい文字の羅列としか捉えられなかったことだろう。「考える」ことを拒み、ライターが作り上げた世界に対して何ら疑問を持つことのない彼らは、いわば「ロボット」であり、昨今話題のいわゆる「コミュニケーション不足」の人間である。

考えた結果導き出された答えが「駄作」ならば、そこまで辿り着かせることこそがこの作品の目指していたところなので、ライターとしてもそれはそれでいいことだろう。
何も考えずにプレイし、「駄作」と位置付けるプレイヤーは、むしろエロゲよりもリアルを見つめ直すべきであると、そう考えることもできそうな作品ではないだろうか。



4月27日(金)00:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

桜の季節

普通「桜」といえばそろそろ終わりの季節だろう。
しかし私の住む土地からすると今やっと咲き始めたところである。

実はこの「桜」というアイテムは、エロゲにおいても非常に重要な役割を持つ場合が多い。
古くはサクラ大戦ときメモといったギャルゲの流れを汲む設定であるのだが、To Heartでこれが用いられて以来、春という季節はエロゲでシナリオを作りやすい季節としても一般化したといえる。


先日、友人の家でひだまりスケッチなるアニメを見た。漫画としてはそれなりに聞くに及んでいて、その絵も見覚えがあるのだが、これがどうも元ねこねこスタッフの某原画師の描いてる絵に見えてしょうがないのである。
この私が見ても明らかに似てるというのだから、果たして予想するところが本当かどうかを確認するしかない。

私の予感は正しかった。

それはもうねこOHPでお世話になったわけで、諸葛僅は本当に見事であった。まさかあのノリがそのまま漫画になっているというのか。私は本屋へ走った。

田舎に住んでいるとこういう時に格差を感じる。

元々あまりエロゲに向くような画風ではなかったように思うのだが、直接的な性的要素のない漫画業界では上手くやっていけることを信じたい。彼の絵は決して嫌いではなかったのだが、ねこには既に大物原画師が一人いたわけで、そういった面でやや不遇な評価を当時は受けていたものである。
彼の経歴は知らないが、おそらく今描いている漫画が商業誌としての処女作ではないか。そうでなければ当時のねこスレは騒然となっていたはずである。いや、これでも十分話題とはなっていたが。

あの日、ねこを去った多くのスタッフが、今こうして新たな道を歩んでいる。私はこの季節に彼と再会できたことを嬉しく思う。
エロゲの原画を担当していたということは、当時の彼はまだまだ駆け出しのひよっこだったのだろう。その時の努力が今こうして花開いたのである。まるで学び屋を去っていった教え子たちに再会したかのようなこの感情は一体なんなのだろう、感動の念を隠し得ない。

中身はどうやらあずまんが大王と同じようなゆるめのギャク漫画であるようだが、アニメを見る限りでは原作以上に視覚効果に大きな特徴のある作品にこれが仕上がっているはずである。これは原作を読んでいない私でもわかるぐらいにアニメが先鋭的である。
現代美術的な視覚効果を取り入れたことが昨今のアニヲタにどのように評価されたかは私の知るところではないが、人間を一色で描くという非常に抽象的な表現はこれまでのアニメでは(少なくとも私の知る限りでは)無かったものではないのだろうか。その断片的な表現だけで人間には事足りるのであると言わんばかりの作画に、私はこのアニメをいくらか高く評価する。もっとも、まだ二話までしか見ていないのだが。

第二話の夏祭りのシーンは特に素晴らしい出来。
ここのシーンの背景は特に評価する。上で「人間を一色で描く」と書いているが、これはこのシーンの評価からくるものである。
また全体的に対抗色の使用はなるべく避けるような方針で制作していることは素人の私にも一目瞭然であり、色彩の認識に関する心理的な効果など、きちんと美術を学んだスタッフが参加していることを伺わせる。



この季節にこの出会いは奇跡的としか言いようが無い。



4月26日(木)01:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

リアル友人について

新たな境地への展望が開けた気がしてならない。

これは久しぶりに衝撃的な話題だったので、ここでもいくらか記しておこうと思う。
最近見ないなと思っていた友人と偶然久しぶりに会ったのだが、彼の風貌は随分と変わり、纏ったオーラも以前のものとは全く別物になっていたのでわけを聞いたところ、一年間東京にいたとのことである。
都会に出ていたからには何かしらの理由があるはずなので更に問い掛けてみる。すると

「東京で○○(某大手出版社)で働いていた」

私の通う学校でも今現在それなりに就職活動している人がいて、ここでまさかそんな大手の社名を聞けるとは思わなかったわけで、私はそこに何かしらの裏があると読んだのだ。
更に詳しく聞いてみる。

「××(某有名漫画)って知ってる?そこのアシやってた」

そんな人たちとの繋がりを持てるとは思っても見なかっただけに、この瞬間の私はまさにwktkの最中である。
まさかあの有名漫画を自分の友人が作っている(アシスタントで参加)とは夢にも思っていなかった。夢の世界もまた同じ世界にあることを間近に感じた瞬間であるとともに、まるで下手なエロゲでしか見ないような突飛なフラグの立ち方について、今後のエロゲの評価にも大きく影響を与えるような出来事であった。

さて、このblogを見ている皆様にとって重要なのは、果たして何という漫画家かということであろう。
申し訳ないがこのことについてはいわゆる「大人の事情」と某有名漫画家の名誉のために詳しく教えることはできないのだが、私はその友人と話をする中で、そのような業界の裏話とその漫画家の性格について、かなり現実的な側面を知ることができた。
名前は出せないが、今最も売れている漫画化の一人とだけ言っておくこととしよう。私も彼の漫画を実際に読んでいるが、これがなかなかクセのある作品であるから、2chやそこらでも話題に欠かない人物ではあるだろう。

実際に漫画家やそのような業界への進出を目指している人にとって最も気になるのはやはりそのギャランティだろう。このあたりの話もいくらか聞くに及んだが、些か面白すぎる話であるためここでは割愛させていただく。




世界の狭さを初めてこの身で味わった一瞬だった。



4月25日(水)00:47 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

一挙朗読について

そろそろネタが切れてきたというのが本音だろうか。

一応AIRの次を考えておかねばなるまい。やれるかどうかは別にして。
ねこ系の作品はほとんど読んだ。
key作品の次ということでLeaf系の作品も視野に入れてはいるが、めぼしいものは天使のいない12月のみである。読むならば確実にクリスマス朗読企画でということになるのだろう。

そろそろ伝家の宝刀を出すべきか?
今まで散々「これは素晴らしい」と言っておきながら詳しく語らなかったFlutter of birds を。
しかし大きな壁として知名度がある。この作品の知名度の無さは絶望的としか言いようがない。
この作品は一周やそこらで終わらせたくないという私自身の考えもある。しかしそこには脅威の難易度という壁もあるため、聞いている方も序盤は退屈で仕方がないことだろう。

知名度もある最近の作品にも目を向けてみよう。しかし最近は先を越されているという印象を強く受ける作品しかなく、また私の得意とする分野の作品はめっきり少なくなってしまった。
その中ではもしも明日が晴れならばカタハネあたりが候補か。key色を出すならばA profile(その横顔を見つめてしまう)もいいかもしれない。
他に個人的にSWAN SONGを挙げておく。しかしこれは最初から聞いてないと盛り上がらない。さらに螺旋回廊とか、全く別の方向に進むのもいいかもしれない。

・君が望む永遠
・加奈~いもうと~
・水夏
・遥かに仰ぎ、麗しの
・ゆきうた
・最果てのイマ
他にはこういったあたりが候補か。残念なのは水月sense off果てしなく青い、この空の下でにキャラボイスが無いことである。
新作としてはやはりkeyがどれだけやらかすかである。次点でコットンあかべぇか。


まだ時間はあるのでそれほど考えるものでもないのだが。



4月22日(日)22:29 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

イントロクイズ開催のお知らせ

本日開催です。

4/21 18:00~



4月21日(土)17:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

sense off  真壁椎子シナリオ

このシナリオには最大級の賞賛の言葉を送る。

この作品については堂々と言える。「エロゲは文学である」と。


絶賛の言葉しか浮かばない。
本当に素晴らしい作品に出会ったとき、出てくる言葉はほとんど皆無である。

あまりにも崇高な作品。
これの素晴らしさが分からなければ、その人にとってエロゲは一生エロゲ止まりである。


エロゲをプレイして一人身の自分を呪うか、幻想の世界に生きるか、はたまた人生の糧を得られるかは人それぞれであろう。しかしこの作品の特にこのシナリオについては、数学を学び、それを利用しなければならない立場の私としては非常に身近な概念や倫理観が高密度で描かれている。これは完全に内容がエロゲの域を越えていると言えるとともに、ある意味ではこの作品自体が学問と言っても差し支えないだろう。

これだけのシナリオを描けるライターが何故メジャーなタイトルを発表できないのか?

簡単である。内容が洗練されすぎているのだ。それゆえシナリオ中における知識量は膨大なものとなっている。つまり「考える」ことで初めて始まる作品であるわけだ。だから内容の単純化が進むこの業界では成功しない。しかし一方では、ライター自信に熱狂的なファンがつくほどの実力の持ち主として名は知られている。

数学は美しい。この世の全てを数で説明できるのだとしたら、我々は神に近づくという愚行を犯しているのではないだろうか。
机上で行われる数学のほとんどは、我々の倫理や精神体系を数式で説明するものである。「∞(無限大)」という記号は、すなわち「分からない」という意味である。つまり我々に「∞」の世界は見えない。
このあたりの哲学的解釈は実際にこのシナリオをプレイしていただきたいのだが、もし私が神であるならば、全てを知ろうとする人間を罰する。それができるのは私だけなのだから。


この時点で超名作。個人的に後世に残しておきたいゲームのベスト10には軽く入ってくる作品であることは間違いない。



4月19日(木)01:18 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

すえぜん ~種を望む彼女~

こ れ は ひ ど い

この作品は明らかに女性に対する冒涜である。少し前に「女性は子供を産むための道具」と言い切った大物もいたようだが、そのような言葉もこの作品の前では赤子も同然と言えよう。
ソフ倫やメディ倫は何をしているのか。ちょっとしたモザイク欠けよりも、こういう作品を網にかけてこその倫理機構であるべきだ。これ以上行き過ぎた作品は更にエロゲの印象を悪くするどころか、マスコミの良い餌食になるだけである。

タイトルからも分かるように、この作品のコンセプトは孕ませである。しかしこれまでの作品でこれと同じコンセプトを持つ作品の多くは、あくまでも男性視点からの凌辱行為に徹していた。男性(主人公)がそうしたいからそうするのであって、そこに女性の立場からの意見が入り込む余地はなかった。もしくはシナリオ中で女性がそう思うように仕向ける(調教する)のだが、あくまで男性の妄想の世界であるべきエロゲの世界でこの手の作品が登場するのは当然の成り行きである。
しかしこの作品はどうか。「女性側から迫ってくる」という作りの似た作品はいくつか見てきたが、これが前提で孕ませシチュの作品となると相当マニアな部類に含まれることはまず間違いない。私自身も、まず最初のうちは、孕ませが自分の性的な趣味でもあるので、ある程度は楽しめる作品だと思っていた。しかしハーレムエンドを見た直後にその感想は大きく変化することになる


ついさっき産んだというのにもう二人目の子作りっすかwwwwwwwwwサーセンwwwwwwwww

シナリオライターは女性という生き物の生態をどこまで理解しているのか疑いたくなるようなあるヒロインの行動に、私の目は点になった。
だいたい初出産なら普通もっと苦しむはずではないのか。産んだ直後に「おちんちん欲しい」はいくらなんでも酷い。この作品に登場するヒロインに「恥じらい」という言葉は無いのか。
その上で私は問いたい。産んだ子供はどうなるのかと。



なんとこの作品ではサンプルという扱いである!



普通ならばせめて子供がサンプル扱いされようとも、親(ヒロイン)がいくらかの愛情を与えているような描写があってもいいはずなのだが、このルートでは単なる道具と同じ扱いである。
サンプルを生成するために主人公に付きまとうヒロインもヒロインだが、「命の大切さ」ぐらいは同じ生き物として分かっていて欲しいと私は思う。逆に言うと、それがわかっていてこその孕ませシチュなのである。

更に腹立たしいことに、この作品の主人公は精神異常者であるから、自分のとった行動に対して何ら責任を感じていない。ただヒロイン達にされるがままにホイホイ精を放出し続けるのだ。これは私も久しぶりに主人公に殺意を覚えた
そしてその全てを「萌え」という概念で打ち消そうというこの作品のずる賢さも、最早神の領域である。もっと訳のわからない設定をぶち込んでいればまだよかった。ちょっと前に主人公が鬼という設定で同じような作品があったが、これはまだ主人公が人間じゃないのでわかる。その上でこの作品をみると、これがどれだけ外道な作品かわかっていただけることだろう。

この作品は評価に値しない。それ以前の問題である。どちらにしても紙屑以下の価値しかない作品であるから、同じ趣味をお持ちの方もできれば避けていただきたい。



4月17日(火)17:37 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

sense off  三篠美凪シナリオ

私は神の作ったシナリオを目撃した。

なんということか。このシナリオはこれまでプレイしたどのシナリオとも一線を画し、そして最も「完成型」に近いところに帰着しながら、それでも外形的な評価は低い
このシナリオのコンセプトや考え方をもしこの作品のシナリオライターとは違う人が持っていたなら、間違いなく歴史に残るエロゲになっていた。それだけ恐ろしいほどの神プロットを作成しておきながら、しかしながら神はこの世を上手く作ったもので、一人の人間に全てを与えることはしなかった。
このシナリオライターの弱点については、他のヒロインにおけるシナリオでも所々に見られるが、三篠美凪シナリオについては特に酷かった。しかしその理由もこのシナリオでは理由が明白に語られるので、その部分の補正も含めてこのシナリオは最高の評価を与えても余りあるぐらいである。
ただしこれは、私個人の好みの問題(シナリオにおける世界観または価値観の問題)が大きく絡んだシナリオでもあったため、その点については各自判断してこのレビューを読んでいただきたい。

主人公の性格付けについては、どんなシナリオライターにも何かしらのポリシーがあるのか、「普通の学生」とか言っている様々なエロゲでそれぞれ特徴的な個性を持っている。この作品の主人公は、どの作品よりもkey作品に出てくるような主人公のような行動を取る主人公であるのだが、大きく違う点が一つあり、それは思考や言動がループするという点である。同じような展開を短い時間で何回も見せられてしまったら普通誰でも飽きるものである。その部分に厚みを持たせられなかったのはライターの責任だろう。「繰り返し」の技法と「繰り返される」展開は全く別物である。

このシナリオはまさに神のシナリオである。この言葉には2つの意味があるのだが、既にプレイ済みの方のみがその両方を把握しているはずである。私がここで何を言いたいかは、プレイして確かめていただく他ないのだが、終盤の展開はまさにAIRを高く評価する私がいかにも高評価しそうなシナリオとだけ言っておく。コンセプトは非常によく似ており、人によっては「盗作だ」と言いかねない内容である。
この作品が発売された時期にも、何かの運命を感じずにはいられない。なんとAIRの発売日がこの一ヵ月後なのである。ほぼ同時期にここまで似たコンセプトの作品が制作されたことはまさに奇跡としか言いようが無い。

AIRではこのシナリオと同じコンセプトを中心に置いたのに対し、この作品ではそれをしなかった。これはその作品自体のベクトルが別の方向に向いていたためである。三篠美凪はメインヒロインではなく、あくまでこの作品を形作るための部品であったのに対し、AIRではそれが全てだった。その点三篠美凪シナリオは、悪く言うとあっさりした出来になっている。「主人公が急に過去を思い出す」という突発的な流れには、「ご都合主義」というレッテルを貼りやすいために良い点数を与えない事が多いのだが、やはりこのシナリオもその例に漏れない。それを起点にしてシナリオを全く別の方向に無理矢理持っていくこともできるため、シナリオ全体の流れを崩すこの技法はなるべく使わない方がいい。しかしこのシナリオについて言えば、敢えてそれをする必要があったという点でいくらかの余地があった。そしてその先にあれだけのシナリオを乗せることができたのだから、その技法による減点は最小限に留めた。神のシナリオなのだからそれも当然のことなのかも知れない。

後ほんの僅かに練っていれば、このシナリオだけでフルプライス出してもいいぐらいの出来。



4月15日(日)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

NANA

今更だがNANAについて一言。

改めて読み返す機会があったのだが、やはり人気が出てから作者もそのあたりを気にしているような作風になってしまったことがはっきりと伺える。どちらにしても最近の漫画業界からするとクオリティは高いことに変わりはないが。

我々ヲタから最も対極の位置にある恋のかたち

この作品のシナリオの根幹となる部分を見てみると、目の前にある「現実」と戦う姿が強く描かれていることがわかる。ある意味で彼らにとっての「リアル」はどこか悲観的であり理想主義的な部分も強調して描かれているが、そこに立ち向かおうとする姿はむしろ昨今の下らない恋愛漫画なんかよりもはるかに現実的である。

この作品に登場する女性キャラは特にリアルの女性は「萌え」という概念では図り得ないことを如実に示した例であるといえる。作者自身が女性(または女性的な視点の持ち主)であることもあり、我々男性がそこに描かれる心理描写に何かしら恋愛に対するヒントを得ることも不可能ではない。

もう一つ言わせてもらえば、男性がこの漫画を隅々まで読んだところで、主軸の女性キャラの心理を読み取ることは絶対に不可能である。細かくキャラの心理描写を様々な技法でサルでも理解できるぐらいに分かりやすく描いているつもりかもしれないが、男性は絶対にこれを理解できない。
極論を言えば、この世にAVやエロゲのようなアダルトコンテンツが古くから存在した理由がまさにそれである。男性は女性ほどに現実と向き合う力は無い。
私はここでその性差に対して哲学的に述べることはしないが、もし男性の立場からこの作品のような恋愛を望むというのであれば今すぐにでも出家する必要がある。目の前に素っ裸の美人が立っていたとしても身じろぎしないだけの虚無心があれば相手の女性のことも考えてやれるというものだ。

物語序盤の展開を思い返してみると、なんと一人の男を追いかけて上京する女性が描かれているのだが、このあたりの行動についてこの作品を読んでいる男性に問いたい。この行動の原動力となったものは何か? もちろん私にもその答えはわからない。ほとんどの男性は「それだけ愛していたから」とか答えるのかもしれないが、我々男性に、そこまでさせるだけの「愛」または「恋」のかたちを想像することはできない。上記の答えもまさにそれをわかってない男性陣が軽い気持ちで答えた悪い例である。それだけの感情を文字で表せるわけがない。だから我々男性がこの質問に出せる最高の答えは「わからない」しかないだろう。
現実でもこういった女性独特の心理に基づいた不可解な行動は随所で起こり得る。私も一人の男性を追いかけて家を出た一人の女性を知る。



なんということか。私はこの大事な時期にNANAを読んで鬱になってしまっている。



4月14日(土)01:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


(1/2ページ)
>1< 2 最後