活動再開 |
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| 大変長らくお待たせいたしました。 リアルにおける山場を通過しましたので、再び英語の件を再開します。
今回からは、都合により文法も取り上げながら更新します。
【時制】
1・Glen and Wilma usually ( ) their washing on weekends. are done do have been doing have done
2・If you turn left and go straight, you ( ) the station on your right. are found found have found will find
3・I ( ) for a trading company in Tokyo at this time next year. have been working will be working have worked was working
4・Everyone ( ) it. is knowing know knows are knowing
5・Ken ( ) in England for two years when the war broke out. will have been has been had been would be
結局のところ4や5のような問題が解けるかどうかということなのだろう。私では選択肢がどれも同じ訳にしかならない。
【4】 皆がそれを知ろうとしている。
【5】 戦争が終結していたならば、ケンは2年間イギリスに滞在していただろう。
このような訳をしている内は研究室で中学校の教科書を読み直せと言われ続けることだろう。
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9月30日(水)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | English | 管理
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アフィんの件 |
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| ラジオ専用blog アフィリエイトの氾濫について
基本的にアフィ欄はラジオ内で取り扱っている作品とその他有名理系専門書を紹介するに留めていたのだが、先日理系の教科書に関しての要望があったために、いくつかの入門用教科書について紹介した。しかしながら、エロゲと同じように、自分に合った本というものは必ず存在して、私がそれを探し当てることは、よっぽど仲のいい友人で無い限りは不可能に近い。購入を検討される場合は、やはりこれもエロゲのレビュー等と同様に、紹介者の癖や好みをよく理解した上で吟味すべきである。
入門用教科書とは何か
一言に入門用と言っても、特に理系科目の教科書の場合は数学的に必須となる知識というものが存在して、学びたい内容がより専門的になるほど、入門書の敷居もそれに合わせて高くなる。例えば、いきなりフーリエ変換や相対性理論について学ぼうと入門書を探してもまず挫折する。ここで必要となる「最低限のレベル」というものがどの程度の知識に置かれるかによって教科書の難易度も変わるわけだが、そこでできるだけ高度な内容を排除して分かり易く書いたつもりでも、数学の持つその正確性を突き詰めれば、文章での表現には誤解を避けなければならないという些かの限度があって、結果的に簡単に書かれたことを謳う教科書の大半は五十歩百歩となっている。 逆に高度な専門書になるほど、経験者はそれらを崇拝する傾向にある。数学的記述がよりスマートで、数式の証明やその説明が理解者に対して完結に無駄なくより一般的に書かれているからだ。数式をより一般化しようとすると、大抵の場合はその理解に必要な知識量が増大する。そのため彼らに入門書を尋ねると、大半の場合「この程度は理解すべき」というハードルが比較的高く設定されてしまうため、進められる教科書も高度なものになる。 さて、分かり易い教科書についてだが、残念ながら理系の世界では数式の暗記という技は通用しないため、証明や説明がより細かく記されている本こそ最良の入門書ということになる。「こういう式がある」ではなく「こういう式はこのようなことを説明しているのだ」と書かれている本こそ将来の糧に値する。かく言う私が現在そのような後悔をしているからこそ、私はこれを声を大にして言いたい。より細かな説明をしようとすれば、自然と文章量は増加して、結果的に非常に分厚い教科書になる。だが入門者にこれは好まれないことは自明である。 注文者はどこまでの理解を必要としているのか。これが最大の問題である。道具としてこれらの知識が必要となる人(工学)なのか、それ自体を詳しく追求したい人(理学)なのか、今持っている知識でその学問の全体を見渡したいだけなのか。特に今回は道具として利用する立場にいる人間からのリクエストであるので、数式を読むという部分を特に意識した。図や絵を見て漠然と理解できればいいならNewtonでも読めばいいだろう。我々はそうではないのだ。とにかく図を見ながら数式を理解していくのではなく、式から自分で図を書いて理解することに慣れるべきである。
私個人の好み
私は「わかりやすい」とか「納得できる」とか言う謳い文句のある専門書は基本的に好まない。何故なら数多くの数式を端的な文章で説明することはできないからだ。これらの本は、緊急でその内容を暗記することが求められた時にこそ有用なものである。本質ではなく、単に教科書内の文章としてこれを暗記するようでは、将来それを応用することはできない。自らの頭で考え、何故そうなるのかを自分の言葉で説明できて始めて理解となる。だからこそ、大仰なハードカバーのいわゆる「お堅い」専門書を私は好む。難しい本ほど読むに値する。後はそれに割ける時間に対して大まかな難度を下げていけばよい。上レベルの専門書から見ると、各レベルに対しての専門書は幅広くチョイスできる。残念ながら下からでは手に届く位置にある教科書は限られる。 文章の書き方について言えば、文章はなるべく著者の感情を含めず学術論文のような言い回しを用いているものほど良い。最近は読者に聴いて聞かせるような文体の本も出回っているが、これは余計に読者の思考を混乱させるだけで、訳書でない限りは断定的な表現が用いられるべきである。断定的な表現に対して「どうしてこうなった?」と思えるようになれば、そこからが勉強である。 疑問に思うことが勉強の始まりだと述べた。すなわち、教科書は最低二冊買うべきである。理解できない内容に触れたとき、二冊の教科書を見比べることで初めてその深さを知ることができるだろう。数式の証明ひとつにしても、そのプロセスの違いを見ることができる。
アフィ欄について
ラインナップは基本的に理系入門レベルであり、例えば文系の人間が興味本位だけでこれらの教科書に挑むことの結果はその人の数学的才能に左右される。しかしその地点は理系ならば誰もが通過しなければならない場所であり、すなわち理系最低レベルと言えるのである。 電磁気学に関して、あえて名著と呼ばれる教科書といかにも私が嫌うような一冊を用意した。どちらも購入すれば、教科書の選択が勉強に及ぼす影響というものを体験できるだろう。 微分方程式に関しては解き方のパターンをいくつ身に付けているかである。手法はやはり微分と積分と四則演算しか無いので、とにかく問題数をこなすことである。そのため教科書は方程式のパターンが数多く記されているものほど良いが、基本だけで良いならば教科書は特にどれが良いというものは無い。しかし上を目指すほど微分方程式は底知れない分野だということを知っておくと良いだろう。
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9月19日(土)03:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理
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