今年一年の総括 |
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| まだ締めくくるには早い
言うまでも無い。出陣である。 参戦は三日目のみであるが、逸れに伴う明日の移動日とも言うべき一日の予定を以下に記す。
長岡1032→水上1238 1374M 水上1245→高崎1349 740M 高崎1403→横川1437 139M 横川1456→高崎1527 148M 高崎1601→高麗川1721 240D 高麗川1723→川越1749 1671E 川越1752→大宮1805 1740S 大宮1807→上野1835 954M 上野1848→我孫子1927 1443M 我孫子1956→上野2031 1450M 上野→秋葉原 山手線
どのような目的があって寄り道しているかは、沿線住民ならば十分に理解できよう。
今年は一年の締めの言葉など特に必要あるまい。来年こそ一挙朗読の完遂を願いたいものだ。
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12月29日(月)00:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理
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とみ☆おか ~白濁まみれの精子場~ |
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| 何でも実況V大学で話題になった例のものの件について一部。
私達の身の回りに存在するプラスチック、繊維、ゴムなどは全て高分子(ポリマー)と呼ばれる物質で構成されている。 高分子は分子量がおおよそ一万以上の分子のことをいい、その実、明確な定義は存在しないが、総じて「大きな分子」を示すことに違いは無い。 そういった意味では、我々の体も高分子に溢れている。人体を構成するタンパク質はその最たるもので、精子と卵子が出逢って新たな生命が誕生するまでの過程も、ある意味では高分子反応の一種であるといえる。
201X年:富丘製糸場の世界遺産登録。 202X年:雇用計画の一環により、製糸場の再稼動開始。 202X年:絹糸のブランド化に伴う、作業員の女性優先雇用化。 203X年:事実上、作業員は女性のみとなる。
その光景はまるで中学校の歴史科目の教科書にある色鮮やかな浮世絵のようだと彼は思う。 むせ返るような湿気の奥にある大きな機械に向かい続ける女性達に、ああ、日本はこういう女性に支えられているんだなと再認識させられる。
「天然種の養蚕により生み出される絹糸の美しさは、化学的に合成される擬似繊維に比べ非常に光沢に優れ、今では世界シェアの80%がこの製糸場で生産されています。」
機械的なガイドの声に耳を傾けながら、傍の一人の従業員・・・いや、女給と言うべきか、彼女の作業籠を覗き込んだ。 回転車に紡がれる一本の線。それは窓から差し込む光に反射して、まるで銀の糸のように見えた。
・・・この輝きさえ出せれば・・・
「がよぅ・・・大学出たんだばわぁ迎えに来ねばよぅ、わもそったに長く待てねんだすけな・・・」
18世紀は数学の時代。 19世紀は化学の時代。 20世紀は物理の時代。 21世紀は大方の予想通り、生物の時代となった。 早く、自分の故郷を、いやせめて自分の家族だけでも楽して暮らせるだけの仕事をしないと。 完全合成絹糸の完成ももうすぐそこまで来ている。この技術さえ完成させれば、起業して、地元に大きな工場を建てて・・・・・・
もう10年も前の話だ。年頃の女の10年はあまりにも永い。私のことなど忘れて幸せになっていてほしい。忘れたつもりでいたのだが、しかしなぜだろう、最近になって、よく昔のことを思い出してしまう。 私より3つ年下の彼女。家が近所だったこともあって、小さい頃からよく子守させられた女の子。 私は自分の夢を選んだ。将来の夢。 それは小学校の頃だった。母の日のプレゼントに、私は絹でできたハンカチを母にプレゼントしようと思ったが、一番高い絹のハンカチはとてもじゃないが浪費家の子供の小遣いでは手が届かなかった。 子供心なりに、母には美しくあってほしかったのだと思う。当時一番似合うと思ったそれを手に入れられなかったことは、相当悔しかった。 安価な絹糸を。子供でも買える、安価な絹糸を。 それが俺の夢。そして、その代償として、目の前にあった幸せを手放した。
「生きている蚕を。」 「はい、こちらです。」 湯気の立ち上る作業籠から顔を上げ、再び入り口へ戻ろうという時だった。
ドン!!! 背中に受けた大きな衝撃。私は思わずよろめいた。 「・・・ばががおめ・・・早ぐ気付げじゃ・・・」 懐かしい声色。 思わず振り向き、立ち尽くしてしまった。 「いづまでもわがねふりすんなじゃ・・・」 防菌マスクを外した向こう側にあった顔。あれから10年が経ったが、私には間違える自身すら無かった。 なぜなら、あまりにもその風貌に変化が無かったから。 「まさか・・・聖香(せいか)・・・か?」 彼女は作業席を立ち、そして私の目の前に立った。
パンッ
私の頬への平手打ちは、僅かな痛みと大きな桑の葉の味がした。
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12月16日(火)22:55 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理
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リアル関連 |
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| 俺はまだ死にたくない
さて、工学系学部にもインターンシップというものがあるのだが、要は在学中に企業で働くという一種の派遣のようなものである。理系特に工学部の場合は製造業との関連性が強く、大企業やその子会社に派遣された場合、長くて半年以上もの外国生活を楽しめる場合がある。私が聞き及んだ限りではアメリカ、メキシコ、マレーシア、中国、インドと、基本的には人件費の安い国に工場を設置していることに起因するであろう国々への派遣が行われている。すなわち、私にもその可能性があるわけだ。 ここで心配になるのは当然、我々は何処へ行くのかという問題である。来年の夏休みが終わる頃には我々のインターンシップも始まるわけで、このあたりは研究室の教授にも我々からプレッシャーをかけることしばしであったのだが、ついにその返答があった。
先に結論から述べれば、私はまだ死にたくない。 研究室内でもこれをこなせるのは私一人だけという判断か。まったく友情というものを疑うばかりである。これが既に決定事項であったならば、私は今頃覚悟を決める必要があったのだろう。もしくは、あえて必修単位を落とすことで、インターンシップを回避する荒業もある。まだ時間はあるうえに、私としてはもちろん外国という選択肢は願ったりだが、このタブーに触れることは、いやむしろ研究室にとって、ひいては日本国民にとって少ない犠牲により多くの利益を生むという面では正しいのかもしれない。
教授「韓国どうよ?」
生きて帰ってこれるか、まずそれが問題だ。今までネタにしか感じていなかった数々の珍事も、こう身近な状況になってはあまりにも笑えない。 一週間やそこらの旅行とはわけが違う。確かにこれでは神経の図太い私に話が回ってくるのも当然だ。私は常々外国への派遣を所望してはいたが、予想を超える100点満点の返答に今は歓喜せざるを得ない。 今はただ刻一刻とこの話題の進展を待つばかりである。
一般的にはアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、更に北欧等の先進国が生活面、言語面でもベストだろう。私の場合は日本人のいない環境こそベストとして、東欧や南アメリカが理想的だった。サウジアラビアやイラン等のイスラム諸国でも何ら問題は無い。むしろイスラム教を知って現地民とも仲良くしたいと思うし、石油産出国であれば生活にも苦労しないだろう。東南アジアもとにかく色んな誘惑が私に暇を与えてはくれないだろう。しかし特定の諸国とはなんということか。
今は妙に落ち着いている
普通であれば猛反発するところだが、そのときの私は妙に落ち着いていた。誰かがいずれ行かなければならないのならば、私以外の誰が行けるというのか。虫の湧いたキムチを食べ、醤油味の何かを何とも思わずに食べる私を、多くの者は期待しているに違いない。ここはむしろ自ら進んで行くべきだろう。 いずれはこのblogもかの国から更新することになるのだろうか。そうなるとここに足を運ぶ人も増えるだろうか。
明日から北斗神拳を身につけなければならないだろう。
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12月10日(水)04:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理
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リトスバスターズ! 2 西園美魚 |
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| 「keyらしさ」とは何か
シナリオのテンポはまさにkeyそのものであって、不自然なキャラボイスの存在と謎のキャラデザインを除けば、その懐かしさに郷愁を感じざるを得ない。そう、やはり私はkeyの作品をプレイしているのだと思える安心感を古参プレイヤーに提供できた部分でこのシナリオの評価(ファンとしての)は高い。しかしながらAIR以降は特にメインシナリオ偏重が顕著であるから、CLANNADにおける智代、ことみ、風子のような立ち位置が与えられているように感じられる。杏についてはさておき、これを新規のライターが書いているならば、相当keyの作風を学んでいることに他ならない。それを大きく感じられる部分としては、シナリオ分岐後、結末前における冗長性がまず挙げられる。物語が一旦「日常」に回帰し、それ以前の出来事に対しての違和感から主人公が行動を起こす様はまさに月宮あゆや伊吹風子のシナリオと同様のギミックである。多くのファンはその度に汗を目から流し、価格以上の価値をそこに見出した。 また古参のファンであれば、このシナリオにえいえんのせかいに近い何かを感じざるを得ない。個性の強いあゆや風子とは異なり、このヒロインの個性は強く制限され、ここでは同時に、多くのプレイヤーの期待を裏切るkeyらしくない絵師の登用が見事にプレイヤーの関心を削ぐことに成功し、その存在の「儚さ」を見事に表現せしめている。ヒロインの強い個性は「存在」の先にある「想い」や「願い」を表現したが、今回は「存在」というそれ自体に着目したというわけである。そのために、このシナリオの結末はなんともあっけらかんとしたものであって、これはONEに近い印象を与えるが、国宝レベルの作品と比べることもないだろう。もちろん、これを上回ることなどできるわけもないのだが。
旧作との重なり
空の青さや鳥、更に透明さや広大さを連想させる要素は私にとって大好物であるので、多少なり評価は高めになることを予め断っておきたい。 既にプレイされた方ならばAIRとの世界観の類似点や、ONEに似た発想がシナリオに含まれていることは、プレイ段階で既にお気づきになられたことだろう。もしかしたらこのシナリオの構想自体は非常に古くからあったものかもしれない。私としては、最高でAIR以前から既にあったものと予想しているが、というのも、似たような性格を持つヒロインが必ず作中に登場してきたからである。ただ、中心となるシナリオとは上手く結び付けられなかったとか、プロットまで構想が形を帯びてこなかったとかの様々な理由がそこにあったものと思われる。AIRでは、あの名シーンで知られる遠野美凪が排出され、CLANNADでは一ノ瀬ことみにお株を奪われた感がある。翼を持って現れた少女は別にみちるでなくてもよかったわけだし、ことみは親を失った部分でえいえんのせかいを夢想してもよかったはずである。前者はとにかく美凪が上手くいきすぎて、後者は有紀寧の存在もあって、枠が用意できなかったものと予想できる。 分岐直後段階では、私はONEに対する一種の解答めいたものの提示がライター自身から行われる予感にある種の高揚を隠し切れなかった。それはある意味では期待であって、ある意味では絶望でもあったが、今回のそれは、えいえんのせかいほど遠い世界ではなかったようだ。理由はそのままこのシナリオの帰着点であるから、皆様自身で確認していただくとして、何より最後のCGについては言及すべきだろう。私がこのシナリオを高く評価するのは、この最後の一枚に起因するところが大きい。廻り廻って、再びkeyの原点に回帰したこの瞬間に涙腺崩壊したのは私だけではないだろう。この感動は作品そのものの感動とはやや異なるため純粋な評価には含めないことが望ましいが、それでもあのCGにはある種の製作者側の意図を感じずにはいられない。 思えば、長森瑞佳はとても一途なヒロインだった。最後の最後まで折原浩平と共にいることを望んだ。いよいよ旅立とうとする浩平が消え行く瞬間を今でも克明に思い出せるプレイヤーはどれだけいるだろう。その瞬間に対する逆の返答だとも言いたいのだろうか。
若山牧水は私の専門ではない。
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12月3日(水)02:51 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理
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