HENTAI & English learning room
 
エロゲと英語のブログ
 



2008年5月を表示

5 [cm/s] 3

秒速5センチメートル 第3章 

表題と同じタイトルを与えられた第3章について述べるには、やはり同時出版された小説版を詳しく紐解く必要があるだろう。このような考えでいけば、残念ながらこの映画は販促用ムービーの域を出ないと言わざるを得ない。しかしながら、私はこのような考え方をしてほしくないという新海氏自身のメッセージをこの章に感じた。映画の解釈はさておき、捉え方は個人の自由であって、私はそう感じたに過ぎないのだが、小説版を呼んで「少し救われた」という類のレビューを見ると、私は逆にこの(映像)作品にこそ大きな意味が込められていると感じられるのだ。
この章の脚本は極めてネガティブな内容を含む。これが先に話した新海氏独特の表現法によって見事に表現されているわけだが、脚本に一貫性を感じられる必要最小限の情報量だけを映像化した内容は、つぎはぎは内容を観客自身に考察させる「好奇心」を抱かせる。それはもちろんネガティブな方向にしか進まないよう情報が与えられるが、その間に生まれる推論と言うものは、まるで視聴者自身の経験に基づいてのみしか生まれない。すなわち、そこに映し出される姿はあなた自身であって、そのネガティブな過去というものは、言うまでもなくあなた自身の過去に基づいているのである。こういった視点からこの作品をみると、この章はなんとリアルなことか。社会に押しつぶされそうになりながら、それでも前へ進もうと努力した結果の挫折と現状。まるでスクリーン上の主人公を救う手立ては皆無のように感じられる。そこに救いがあるとすれば、それは見事な桜の花びらが舞い散る春の季節。あの頃の美しい記憶。そして、それらは全ての人間がそれぞれ心の片隅に持つ記憶。それを持ちながら、現代の人間、ひいては社会が動いているのだ。

最後に一本とられた

山崎まさよし氏の歌う華麗なあの曲のタイトルは、皆ならば既に把握しているであろう。つまりはそういうことである。これはおそらく小説版の本作を読めば、また違った新海氏のメッセージを受け取ることができるようになっているはずだ。
私もできることならば、時を中学三年のあの頃にまで戻したい。これはいずれラジオ内で語る時が来たら話すことにしよう。
人生の転機は、長い一生の中で3回訪れるそうだ。それは初恋(失恋)、就職(進学)、結婚(離婚)だとも言われる。なんということか、これらはどれもこの作品の中で重々語られているではないか。作中では基本的に、このどれもが失敗とも捉えられる表現で描かれているが、ここから考えても、この作品は20代後半~30代前半という年齢層を主なターゲットとした作品であることが窺える。この年代ともなると、誰もが就職し、そろそろ結婚もして子供を持っていても何らおかしくは無い世代である。そんな彼らの心の奥底を突くようなこの作品を制作した新海氏の悪巧みに、私は思わずにやけてしまった。彼もなかなか焦らしの上手いプレイボーイなのかもしれない。

あなたにチャンスは残されているか?

ジブリ作品の中でも特に破壊力が高いとされる耳をすませばを見て鬱になるとすれば、それは確実に過去の思い出を引きずっている証拠だ。ならばそれを払拭するために、今すぐにでも動き出そう。転機を逃してしまえば、次は将来秒速を見て、激しく鬱に見舞われることになる。私はこれこそが、この作品を見た上での帰着点なのではないかと思う。



5月30日(金)01:57 | トラックバック(0) | コメント(3) | 趣味 | 管理

5[cm/s] 2

秒速5センチメートル 第二話 コスモナウト

主人公の成長物語ともいえるこの作品において、最も視聴者の心をくすぐる可能性が高いのは、この章であろう。
中学~高校生時代は誰もが思春期に突入する。その中での体験や思い出は、大人になった今でも鮮明に記憶していることが多い。同時に、これらの記憶は甚だしく美化されている場合が多い。その部分を突くような脚本を用意することは、プロにしてみれば大して難しいことではないが、やはり極限まで洗練された世界でそれを表現されては、誰もがあの頃に思いを馳せざるを得ない。
まるで中学生日記だ。全く工夫の無い「別れ」と「恋」を表現した脚本はむしろそれが逆に澄んだ世界観に見事に調和している。この部分は、昨今のTVアニメでも見習うべき要素が多いのではないだろうか。

高校生とは思えない青さ

何故この脚本に高校生を充てたのか。だがしかし、田舎しかも離島であれば、どうにか納得できないこともないが、それ以上に大事な「何か」を表現するにはこれも間違いではない。そもそも私のこの考え自体、新海氏の描きたかった世界観に対しては不純物であるから、ここは「とにかく好きで好きでたまらなかった」というまっすぐな気持ちを素直に受け止めて考えるべきだろう。この純粋な気持ちは、どんなに歳をとっても変わらない。そんなことを感じさせる物語である。
種子島を舞台にしている以上、ロケット宇宙といった要素に大きな意味を持たせていることは明らかである。これを通して何を表現したかったのかについては、さしてはこの作品全体の根幹をなす要素であるため、ここでの明言は避けたい。ここで私が注目したのは、その分かりやすさである。中学生以下には年齢的に少々分かり辛い部分もあるが、それ以上であれば誰もがこの章の意味を理解できるだろう。難解な要素が多かった新海氏の作品にしては珍しく、これは全体を通して新海作品の入門用としても薦められる。

いたって普通の脚本

映像美を追求した新海氏らしい脚本でもあると言える。映像がある以上は「聞かせる」のではなく「見せる」ところに焦点を当てたスタイルは、このような特徴の無いシナリオを見事に宝石へを変える。しかしながら、それと同時に、極限まで絞り上げた音声の持つ意味の大きさも着目すべきだろう。ひとつひとつの台詞が、視聴者である我々の心に響く。届くことのない「想い」を叫び続ける声は、いつまでも頭の中でハウリングする。その様は、まるで過去に引きずられる主人公の心の中そのものだ。
主人公の目の先には、一体どのような世界が見えているのだろう。それはこの章を「見る」ことで解決される。



5月26日(月)19:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

5[cm/s]

秒速5センチメートル 第一話 桜花抄

今までこれを見ていなかったことに気づいて良かった。新海氏の動画編集能力の秀逸さは言うまでもないが、彼が立派に一作品仕上げるだけの実力があるか否かについては、ここまで評価を保留していた。ストーリー性を映像に加える作業自体には、未だ不慣れな部分が見て取れたからだ。第二作の雲のむこう、約束の場所について言えば、やや上級者向け、つまりは本を読む人や映画を良く見る人を対象とした脚本が、自身の演出の評価を難しいものとしている(何が言いたかったか)。この程度の映画の意味さえ汲み取れないようでは話にもならないのだが、私自身は青森県出身であることが、舞台を同じくするこの作品の評価を難しくしている。そのため評価に関する明言は避けた。どんなに歴史背景が違おうとも、田舎がこんな生温いわけがない

「耳をすませば」という作品がある

似ている。描こうとしたことも、非常に近いところにあるだろう。監督の違いは、やはり演出面によく現れており、新海氏は極力言葉での表現を避けることに特徴がある。これは背景演出のレベルの高さにリンクして考える必要がある問題であって、この方法が直接悪いと評価することは無い。
さて、この作品は全部で3部から構成されている。今回はその1つめを評価するわけだが、あくまでこれ1つでの評価であって、3つ合わせたときの評価とは異なるということを先に断っておきたい。
まずは新海氏得意の背景演出面についてだが、これに素人が文句をつけられるとでも言うのか。独特の世界観を出すために必要不可欠な要素は今回も健在である。更にこの演出は音響効果面へも大きな影響を与えている。世界観をできるだけ透明に保つために、「雑音」を極限まで排除した成果は、場面の起伏を表現するためのファクターとして細部に表れている。
さて、問題の脚本について述べよう。結論から言うと、大分良くなってきている。しかしながら、悪い部分が抜けきっていないのは残念なところだ。25分という短い尺の中に纏めるというのは難しいことかもしれないが、それを纏めるのも実力のうちだ。この作品では、25分に纏めるために要点だけ纏めてみましたという後味の悪い印象が残った。小説があるということなので、そちらにも目を通しながら判断する必要はありそうだが、作者は「年」という単位では時間を重いものと見なしているようだが、「分」という単位では、やや軽いものと見ている印象を受ける。経験した者にしか分かりづらいのかも知れないが、雪の遅延は人身事故の遅延とは全く異なった感情を生む。それを背景演出以外の方法で演出さえできれば、最も重要なカットでの盛り上がりは更に大きくできたのではないか。逆に、この程度だからこそ深海氏の作品だという意見にも私は頷ける。映画の評価とは往々にして難しいのだ。

あの頃の俺達は若かった

中学生が自由に電車を乗り継ぎ、ちょっと遠出する。残念ながら、この感覚は田舎者の私には無い。新海氏の作品には何かと鉄道が登場するが、我々田舎者の考える電車というものは、常に遠くへ出かけるためのツールであって、一人で頻繁に使用するようになるのは高校生以降である。そのため前作では比較的気にならなかったのだが、1000円以上する切符を持っている中学生を見たら、普通は不気味に思うものだろう。そのあたり、呼び止めもしない駅員などを見ていると、さすが都会は違うなと思ってしまうのである。
この作品、1995年という舞台設定だそうで、携帯を持たないという部分では、人間の温かみを描くためにはとても有効に働いている。当時13~14歳であるから、この作品は今の25歳以降、つまり我々よりもいくらか年上の世代が主にこの作品のターゲットとなる。彼らはこんな時代を懐かしく思ったことだろう。しかしながら、このような時代にこの世代を生きていない我々でも、どこか懐かしさを感じずにはいられないあたり、この作品の完成度を感じさせる一面である。



5月23日(金)07:14 | トラックバック(0) | コメント(2) | 趣味 | 管理

大本営発表

本日、無事に叔父となりました

今日この日私は叔父となる。なんとなくもどかしくもあり、新たな家族が増えることに対して異常な喜びと共に、どうしようもないやるせなさである。
普通、こういったことは年功序列であるべきだろう。しかしなんということか、私は長男であるため、この歳にして枢密院議員にような扱いを受けるに至る。この感情を上手く文字にして表すことは難しいが、少なからずこの歳にして弟に先を越されるという経験を味わう者は稀有ではないだろうか。せめて私が大学を卒業してからであれば、納得もできるのだが。

その影で、私は重大なミスを犯した

だれもが了承するだろう。女性にパソコンを貸してくれと言われたら。もちろん私も二つ返事で了承である。パソコン無くてレポートが書けないと頼まれたら、ともかくその先の期待はさておき、貸さざるを得ない。お礼を言われたときの、その笑顔のなんたる美しさか。これは容姿に関わらず、女性に与えられた特権であり、本能的な意味で男性はそれに従わずにはいられない。
もちろん危険因子を含むHDDの中身はハードごと取り外し、レポートを書くにあたって必要最低限のハードを搭載し、わざわざ彼女の家に上がりこみ、OSのインストールを開始する。ここで重要なのは、決して邪念を持たないことだ。もしその可能性があるならば、夜遅い時間になってくると向こうからモーションをかけてくる。結果的には、もちろんここでモーションをかけられるわけが無かったが、大変美味しいご馳走を頂いたので、これはこれで良しとしよう。
さて、このことから分かるように、現在我が家にはPCが一台しかない。となると、支障をきたすのは特にラジオ放送であって、次回の放送までにはどうにかこれをカバーできるような環境を整える必要がある。
言うまでも無くネットよりリアルだ。皆様には、このあたりをどうかご了承いただきたい。



5月21日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

友人、自分の嫁を語る

嫁とはそう簡単に手に入るものではない

某友人が、自分の彼女のことを「嫁」という代名詞を用いて表現する。たとえ対象が二次元であったとしても、この「嫁」という表現は実際のところ、そう生温いものではないことを、ここで忠告したい。
現在ではめっきり変わってしまったが、嫁を貰うということはすなわち、相手の女性にとって、それまで暮らしてきた家族との決別を意味する。それだけの覚悟を決めて自分のところへ嫁いでくる女性の覚悟は常識的に考えて計り知れないものがある。このblogを見ている人は男性率が100%近いと予測して、このことについて語るが、一人の女性を占有できることの優越感もまた計り知れない。男性のこういった意見は所詮、雄としての本能の部分からくる超自然的な感情なので、口だけは達者なネット弁慶の多くがただこれを感情の赴くままに発言しているに過ぎない。だが、ここで私は思う。そう軽々しく発言できる奴ほど現実では異性との付き合いが上手くいっていないのではないかと。ネットスラングとして「萌え」という意味すら内包してしまっているので、そういった場合との区別分けも必要となるわけだが、自分の親も含め、先人たちの結果や先行きを考えると、こうも軽々しく発言できるのは、独身の男性のみであることは少なからず間違いない。彼らは果たして結婚の奥にあるその「責任」を最後まで、すなわち老後まで負うことができるのだろうか。

二次元は確かに男の理想郷

正直に言おう。理想的な女性などこの世に存在しない。裏を返せば、絶対的に受け付けない女性もこの世にはいない。これは個人的な経験則に基づいており、異なった意見を持ってもらっても一向に構わないのだが、ここで言いたいのは、相手を一つの方向ばかりから見ないということである。どんな女性にも、何かしら可愛く思える一面を持っている。しかしこれも、単なる精神論に過ぎないことは、私も認めるところである。実際に女性と付き合う過程には、少なからず肉体的な関係を持たざるを得ない。この部分は圧倒的に個人との相性が試されるため、最終的な段階まで進む付き合いというものは、非常に限定されていくわけである。
結婚という段階に移行するのは、男性からすると別にある程度遅くなっても構わない。責任を負う立場として、自分なりに覚悟ができるようになるまで、特に何年かかっても悪いことは無い。しかし女性は対照的に、結婚したいタイミングというものを、個人レベルで計算して勝負に出ている場合がある。男性としてこれを嗅ぎ分ける嗅覚を持ち合わせるべきであり、同時に、このタイミングはほとんどの女性でほぼ同じ時期に重なりやすく、最も選択肢が広がる年齢層であることを意味する。
私ももちろん独身の身なので、結婚後のことについて語ることはできないが、親戚に結婚しなかった女性がいる立場の人間として、結婚しないことについては、いくらか見たことをそのまま語ることができる。もちろん、私はそうなりたくない
結局のところ、独身男性が考える「結婚」そして「嫁」の存在とは、理性と本能のジレンマだ。このジレンマに立ち向かうためには、これから多くの女性と知り合いながら様々な経験を積む必要があるし、また女性側なりの考えも理解する必要がある。面白いことに、これに熟練した人は須く結婚できていないことも付け足しておきたい。



5月15日(木)03:05 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

麻雀の件

ここまでフルボッコされるとヘブン状態を味わえる

ダメ大学生定番コースとも言える徹夜麻雀大会も、今回で2回目を向えた。前回フルボッコされている私はここでその分を取り戻すべく、今回はそれなりに気合を入れてこの時間に望んだ。
前回のようなおかしいテンションで場の流れを壊すような奴は今回召集されていない。朝まで静かな戦いになることが予想された。ルールはやや変則だが、とにかく4着さえ避ければいつでもトップで捲るチャンスのあるように設定されており、勝負が終わった今になって思えば、大方勝負に出るべき局は選ぶべきというのが正直な感想だ。
4着を取った者への制約は大きい。大学生である我々からすれば、非常に大金と言える5千円以上が1局で動くことになる。このあたりは前回以上に厳しいルール設定がなされた。なぜなら今回の対戦相手は総じてギャンブルを趣味とする強者ばかりで、それだけのお金が動くことに対して、さして大きな疑問を抱かない連中ばかりである。こうなれば、最早カモとして召集を受けている感も否めないが、前回の負け分2万円を取り戻さなくては、私も今後の生活が危うい。

今月の家賃が払えなくなった件について

正直に言おう。6万円負けた
と言うより、あれは麻雀ではない。神が私に下した罰だとしか言いようが無い。
リーチドラ6等々、犯罪としか思えない。しかしこれが麻雀である。更に直接振っていないのにハコ割れを2回という結果は、過去あっただろうか。10回近くの半荘を繰り返して、私の4着が5回以上では、たかが1回や2回の1位では、負け分を取り戻すことは不可能に近い。
この件について述べても、それは単なる言い訳に過ぎない。負けは負けだのだから、次にどう生かすかを考えよう。しかしながら、それでも今回の結果は納得できない。何故あそこまで私は勝負弱いのか。引きが全く良くないのは生まれつきの運だ。それは納得している。だからこそ振らないような闘牌を身につけてきた。勝負できるのは所詮半荘1回の中に1局あるかどうかだ。それだけ引けない人間が勝つにはもう勝負所を嗅ぎ分ける能力を身につけるしかない。そして勝負に出て相手に勝負負けしたのが今回の全体を通しての感想であると同時に、次回への反省点であろう。



5月11日(日)10:15 | トラックバック(0) | コメント(2) | 趣味 | 管理

しばらく忙しい件

ここを更新する時間が無い件

学校→夕飯→風呂→課題→寝る というコンボのループから抜け出せない。休日前にはこれにラジオが加わるのみだ。皆がどれだけ承知かは分からないが、深夜のラジオ放送というものは、休日の生活サイクルに多大な影響を及ぼす。実際、起きたら夕方というのが現実なので、正直実家での生活が恋しい
そこに食事があるということのなんと裕福なことか。あの両親の元には絶対に戻りたくないとは思うが、おふくろの味の半端なさは異常であることを思い知った。
今現在も、私は課題に追われている。そして更にまたレポート地獄の日々がやってくる。

トナメ支援ラジオを聴いてた奴出て来い

今回私はダウソ支援のラジオをやることになった。放送日程等は2ch全板トナメ公式ページを参照していただきたい。既にダウソ板の一次予選は終了しており、私も幾ばくかの支援をさせていただいたわけだが、正直な感想、割と反応が鈍いので、他板への浮気もいくらか行う予定だ。どこに浮気するかはこれから決めていく予定だが、ラジオ専用blogでの告知は一切行わない方針なので、時間のある人は私を探してみてもいいだろう。



5月7日(水)01:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

第三回 2ch全板トーナメント開催中

あの「熱かった日々」が再び

始まってしまった。私をインターネットラジオの世界へ誘ったあのイベントが。
その日私は一人、何故か自作したばかりのPCの前で緊張していた。たった一票という微力な支援はしかし大きな結果となって私を歓喜の瞬間へと誘った。

自作PC板、決勝戦進出

その知らせを共に待つこと、そして共に喜ぶこと。殺伐することが常識の世界であった自作PC板はおろか、閉鎖騒動以来、混沌とした2chが久しぶりに一つに纏まったと感じた瞬間である。
そして物語は収束へと向かう。始まる前からも、決勝戦の結果は誰の目から見ても明らかであった。当時全盛を誇ったVIP。彼らの強大な力の前には、ダウソ陣営の票田はあまりにも小さすぎた。しかしその日、それらは何ら問題ではなかったのだ。3ヶ月にも及ぶ熱戦を影から支えた運営スタッフ、これまでに敗れた板の選対や予想屋達の暖かな拍手がすぐ隣で聞こえてくるような、そんな盛大なエピローグだった。
私は泣いた。あの時の想いを文章で表すことなど不可能であると信じたい。なぜならそれは、この催しに最後まで参加した仲間たちだけが共有し得る、最高の思い出であるからだ。

選対を支えた、ひとつのURL

それ自体は時間の無駄な消費である。
それがあるからといってこれからの生活が大きく変わるわけではないし、まさかプロのような仕事ができるわけでもない。
そのURLからは一人の高校生のものと思われる声が聞こえてきた。どこにでもいそうな、普通の青年が発する声。しかしその声は、我々ダウソ陣営を支援する内容であった。
初めはただ「選対の一員として」という義務的な気持ちが強かった。しかしその実、その内容はプロでは到底表すことのできない「繋がり」を我々にもたらした。
それ以来、勝負日は彼のラジオを聞くことが日課となった。

終わりの日、そこで何があったか

全ては思い出の中にある。記憶というものは、過ぎ行く時間の中で徐々に失われていく。あの日の記憶もまた例に漏れない。だがしかし、ただ一つ確かなこと、それは自身の記憶の中でも最も奥深い部分にしっかりと焼き付けられ、どんなに歳を取ろうとも、決して忘れることは無いだろう。その日私は、ネトラジDJとしての道を歩み始めた

第三回の開催に伴って

あの時の感謝を。
再び集まった仲間達に、更なる友情を。
初めてやってきた有志達に、新たな感動を。


基本活動場所:ダウソ陣営(ダウソ、自作PC、CD-R,DVD)
基本活動時間:夜9時~集計結果開示まで
内容:投票支援インターネットラジオ

【注意】
この記事の更新時点では、詳しい詳細は決まっていません。これから選対に交渉しながら様々決まっていく予定です。



5月4日(日)22:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


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