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エロゲと英語のブログ
 



2009年8月を表示

こなたよりかなたまで 再考

健速の現在を偲ぶ

さて、以降の定期放送における朗読作品も無事に決まったわけだが、ここでこの作品について改めての紹介が必要と考えたため、いくつか注目すべき点を述べよう。
まずこの作品は、言わずもがな健速氏の出世作でありデビュー作としてその筋には広く知られている作品であるわけだが、発売当時から大きく注目されていたわけではなく、元々は当時のシナリオ偏向というムーブメントを受け、良くも悪くもF&C作品としての評価に留まっていたことは有名な話である。では何故この作品が注目を集めるに至ったのか。それは口コミや各サイトにおける評価の高さといった要因からであるが、それを呼び起こすに至った所以は、それまでの同類作品に見られるような一種の個性を極力排除して、自身の表現力だけで勝負しようとした彼の挑戦が評価されたためである。もちろん、シナリオ以外の面でF&Cという老舗メーカーが持っていたノウハウでの優位もあったことは否めないが、彼がどんなシナリオを書くか、それを理解していたプレイヤーはもちろん皆無であったわけであり、時期的に泣きゲーというジャンルの定石やそれを可能とするスタッフの名がほぼ決定していた時期に、個性溢れる他シナリオライターを押し退け、自らの完成されたスタイル(表現法)を早くから確立した状態でデビューしたことが、彼がこの業界に驚きをもって迎えられた最大の要因ではないだろうか。どういう意味かというと、氏はI'veという点を除いては、その他に何か注目すべき点のある状態を初めから与えられなかったことが逆に成功に繋がったのである。

I'veの存在

この作品を語る場合に、もう1つ忘れてはいけないのがあの名曲の存在である。数多くあるKOTOKO系楽曲の中において常にベストとして挙げられるこの曲は、氏の描く透明感のあるシナリオに見事にマッチし、ひとつの作品を完成させる大きな役割を担うに足る。
名作に名曲ありとされるのがこの業界のお決まりであるが、この作品もその例に漏れない。あまりにも圧倒的なその曲に紛れて、もう一方のボーカル曲もまた非常に優れていることを知らない者も多いが、実はこの作品において、こちらの曲こそ評価されるべき楽曲であることを、私はこの場で声を大にして述べたい。あくまでひとつの作品という意味で語るならば、この曲こそ真の意味でこのシナリオを表現しており、同時にある意味ではF&Cだからこそ為し得るクオリティがあったからこそひとつの作品として纏められた作品と言えるのかもしれない。

絶望を感じさせないこと

実はシナリオ中でこれを為し得るライターは非常に少ない。それは儚さとして表現され、常に人間の持つ生への執着心として捉えられる。しかし氏はそうではなく、それは唐突に、そうでありながら誰にでも訪れる終着点としてこれを描いた。このシナリオにおける主人公の「優しさ」の在り方が透明感を与え、本人に比してそれを心の奥で納得できない他キャラとの対比が明暗を生み出している。
車輪で私を知った者がどれだけここを見ているかは分からないが、それと比べるならばこの作品は逆の表現で描かれていることを覚えておくと良いだろう。「強さの裏にある脆さ」ではなく「儚さの上にある強さ」を表現した作品はこのように描かれるのである。



8月31日(月)03:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 小さなイリス

最後にやりやがった

氏のファンの一人である私から言わせれば、最後の例の一節だけは理解に苦しむところだが、ねこねこ初期の頃からの布石としてポジティブに捉えておくとしよう。そもそも氏の作品で特にイメージが暗いと言われる銀色などの作品群は、あえて終盤の表現を大げさにならないよう抑えて描くことで、作中における負の表現を目立つようにしている。そのために氏の作品はどこか儚さを供え、悪い意味でも安眠ゲーと言われる所以となっているのである。
例の一節が登場するということはすなわち、彼がこのシナリオを手がけたという証拠を彼自身が残したということであり、これは商業的な枠を超えて、自身が特に自らの作品であることを主張したかったことも伺える。ということは、これまでの彼の作品に繋がる、何かしらの想いが込められたシナリオであると同時に、氏の中で、自らが持つ世界観や人生観といった、文章を書く上で最も前提となり得る部分で、十分に納得できた、すなわち強い自信を持って書き上げたシナリオであることも意味する。しかし同時に、それは他人に対しては強烈なエゴであり、シナリオライターとしての自信の評価と、プレイヤーの評価の解離の可能性を孕む。
常々述べるように、私は氏の大ファンの一人であるため、できるだけ客観的な評価を心がけようとも、彼の描くシナリオに関してはその限りにはなり得ない。好きであるとはそういうことであり、作品のレビューを見て購入を検討する場合には、その文章を書いている人がどのような作品を好むかを知ることが重要である。

我々は最後に笑えるか

無印時代のナルキッソスとは似ても似つかない作品になっていることは、私もこれまであえて努めて無視してきたが、ついにこのシナリオで嘘はつき通せなくなってしまった。正しくは、無印ナルキから派生したスピンオフ作品と捉えるのが正しいのだろう。
さて、この種のシナリオはある種の道中記と捉えることもできる。同時に、ある意味で銀色の第一章によく似る。笑わないヒロイン(主人公)と、ある意味自らの人生に悟りを開いている主人公(ヒロイン)が、互いの心に欠けている部分を見出しながら、やがてヒロインが死に場所を得る。このように書くと、氏の書いたシナリオは須くその通りになるのだが、必ずここで考えるのは何故それまでの人生を捨てるような決断を下せるのかということである。我々はそのような人生を歩んできていないため、もちろんその気持ちを知ることはできない。ではシナリオライターの氏はどうなのかというと、彼にはそれを考える機会が過去あったことがおまけシナリオで語られる。そういった意味で、氏の考えてきたその「答え」を、何らかの形で表現しようとしてきたシナリオこそが例の一節を含むシナリオであって、氏の原点であると言える。



8月19日(水)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 メサイア

非常に素晴らしい

まず個人的な感想を述べさせてもらおう。このシナリオは非常に理解している。何をと言われれば、私の趣味をだが。
ありのままを見せようとする作品群において、陳腐な伏線はどうしてもシナリオの先読みに繋がってしまうが、それすらも、あたかも予定されていたかのごとくシナリオが進行することこそがこのシリーズの逆の意味での利点でもあった。しかしこのシナリオは、あくまで個人的にではあるが、それを考えさせない後半の展開と、それが功を奏してか、終盤の絶妙な伏線に対して非常に新鮮な感情を抱かせた。
この手の伏線は常に勇気が必要だ。下手に用いれば逆の意味で奇跡に等しい。しかし考えてみると、一酸化炭素が部屋に充満する前に 見知らぬ愛らしい女の子が「お兄ちゃん♪」って 玄関からお邪魔してくる可能性も0ではないのだ。そういった意味で、ライターは文脈によく気を使っていることがわかる。そしてこのことこそが、このシナリオで主にプレイヤーが考えることになるある種の条件である。

ブラックジャックによろしく

緩和ケア医療に関する話題が取り扱われたのは確か何巻だったか。なんとこのシナリオ、形式的にはやろうとしていることが同じに見える。しかしそれはあくまで医者としての立場に立った、すなわちその先も長く生きるであろうプレイヤー自身の考え方で、ただこれについて考えさせたいのであれば、先の漫画こそが詳しい。このシナリオでは、例の終盤の展開があって初めて、プレイヤーがこのシナリオの真意に気付くチャンスを与えられる。もちろんその真意の形は人それぞれであるが、要は一酸化炭素が部屋に充満する前に見知らぬ愛らしい女の子が「お兄ちゃん♪」って玄関からお邪魔してくる可能性は決して0ではないということだ。結果どうであろうが、そこにあるのは事実のみだ。もちろん悪いこととしてもこのような例は起こり得る。我々はこれを安全という言葉で表現し、そうでなけでば奇跡というわけだが、今述べたいことはそういうことではない。とにかく死ぬときは一人という至極当たり前のことについて、これまでのシリーズ同様に淡々と述べられている。しかしながら、このシナリオの特別なところは、終盤に至って、プレイヤーの思考とは違うところに焦点を向けさせるという技巧的なシナリオの組み立てである。流石にただヒロインが死ぬまでの過程を楽しむ作品ではないだけあって、色々な創意工夫が凝らしてある。

終盤に意味を見出せるか

事が起きてからの展開は、ひとつの物語を終わらせる上では必要不可欠だが、非常に蛇足的である。それはプレイヤーであるあなたにとって救いになるのか、ただそうであればそのようなイベントを挿入してよいというわけでもあるまい。しかし悲しいかな、このシナリオは超絶リア充の物語である。散々主人公に迷惑をかけるヒロイン(この章ではヒロインも男となる)が終盤で取る行動に対しても賛否両論あることが予想できるが、そういう人たちにはまず親友と呼べる友人を作ることから初めていただきたいものだ。



8月4日(火)02:29 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理


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