HENTAI & English learning room
 
エロゲと英語のブログ
 



2007年6月を表示

志望動機

願書の片隅にある「志望動機」の欄はいつも私を悩ませる。どこまで本気のことを書いていいか迷う上、それがどのように捉えられるかは面接官の采配次第であるからである。

まず私が大学編入を希望する理由は極めて単純である。

キャンパスライフを満喫してみたい。

それだけだ。男しかいない学校で何年も過ごしてきた私にとっては、普通の大学に通う学生は「外の人間」に見えてしまうのである。もし男子校や全寮制の学校に通ったことのある人がいるならば、この気持ちはよくわかってもらえるはずだ。私は研究云々以前に、「人間」としての度量の大きさが、自分の将来の人生に大きく影響してくると考えており、これを養うにはやはり多くの人間と付き合いを持つことが必用であると思うのだ。
だからあえて人の多い都会の大学を志望するのだし、まだ大学院にすら進んでいない私が専門がどうこう言おうと、現在の世の中では大卒がスタンダードになっているため、希望する仕事に就ける可能性は限りなく低い。ここで「希望する仕事」というのは、職種のことを言っているのではなく、そこから更に細分化される専門職のことである。

私は将来、機能材料開発の研究に携わりたいと考えている。こう言うと分かりにくいが、要は液晶、半導体、プラスチックと言った類の「材料」を開発したいわけだ。例を挙げるだけでも、これらは全て似通っているわけではなく、それぞれでその分野の高度な専門的知識を要する。しかし大学レベルでここまで細かく分けて専門者を育成するわけもなく、そのために大学院があるのである。
院に進むだけであれば、その筋の人にはわかるであろうが専攻科という抜け道が存在し、ただそこで学べばいいだけなのだが、ここでもう一度最初に戻ると、これが嫌だから大学に行きたいのだ。

以上のことを志望動機として書くわけにはいかないことは明らかであるが、さて、これを面接ではっきりと白状したとき、あなたが面接官ならばどのように捉えるだろうか?



6月29日(金)19:56 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

普通blogとはもっとチラ裏であるべきだと思う

編入試験主用4科目

英語→3割いったらいいほう
数学→微分積分の問題がどんなに直しても答えが一致しない
化学→有機化学がきた場合にのみ確変
物理→先進国の人間とは思えない出来

ここに+面接であるが、むしろ面接だけで判断してくれといわんばかりの結果となろうとしている。
これは夏休み中に更なる遠征を強いられることになりそうである。



6月27日(水)03:18 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

いい買い物をした

最近発売されたLiaのアルバムは購入すべき。

これだからこっちの業界はやめられない。あくまである商品の付随価値しかなかった音楽分野の作品が、本当にごく稀にであるがもの凄い完成度となるからである。ただしエロゲ関連の曲である場合、その曲が含まれる作品について、音楽が一人歩きしたと酷評することが多くなる。例えばKanonバルフォはそのいい例で、この点を更に高クオリティーのシナリオでカバーするか、または知名度でその作品が上回る必要がある。

このアルバムについて言えば、ところどころでエロゲの曲もあるが、あくまでLia個人名義で発売されているため、楽曲もLia個人の曲として評価される。そうなったときに、どうしてもヲタが買うようなイメージが拭えないところが実に残念ではあるのだが、それさえなければ、一昔前に流行ったヒーリングアルバムと言われる類の作品群の中でも最高クラスのアルバムとして評価できる。これは、Lia個人の声の美しさを、私が特に高評価してのものである。

作詞や作曲というのは、当たり前のことだが芸術の一分野であり、これにどう感化されるかはその個人によるところが大きい。そのため聞こえる人にはアニメか何かの曲にしか聞こえないし、そうでない人にはそれなりの曲に聞こえることだろう。そのためLiaの名を知らない人に強烈に薦めるような馬鹿な真似だけはよしてほしい。そうやって名が広まることは彼女の本意ではないだろうし、私としても可能であるならばLia個人の力でメジャーを目指してほしいからである。


この夏影はなんだ!

いつの間にこんな曲を歌っていたんだLiaは。この曲はAIRを知るものにとっては死のロードとならざるを得ない。
なんという癒し。これを聞いた人は、もう二度とあの夏からの脱却を計ることはできない。一年、そしてまた一年と過ぎ去ってゆく時に逆らって、我々が共有している「この夏」の繰り返しは、まさにこの一曲に集約できると言えよう。
AIRの舞台は和歌山だという説が有力であるが、あの雰囲気に似た雰囲気を持つ地を私はいくつか知っている。もし時間が許すのであれば、この夏は譜代に出かけるとしよう。



6月24日(日)20:43 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

不思議なことも起こるものだ。

カウンターの故障か?

ついこの間まで1日累算100人ちょっとの訪問がいいところだったのだが、ついさっき見てみたらこの人数にワロタ。
誰がここにリンクしてどう紹介しようが構わないし、別に人数は気にしていないのだが、この人数の推移を見せる理由には非常に興味があるところである。




大事な時期に差し掛かっているため、更新速度が遅くなっています。ご了承ください。



6月23日(土)23:49 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

リアル関連

この俺が東工大に受かればこれこそメイクミラクルだろう

とにかく東工大を受験する気持ちは更々無かったのであるが、ある教官にこうも強く奨められては私もどうにかして応えたいと思うわけである。しかし残念ながら私は底辺の人間なのでこれに応えるためには一年待たざるを得ないのであって、そこまで悠長に構えていられるほど呑気な男でもない。
東工大がどんな学校かは、センター試験を戦った人にならばよく分かることだろうが、簡単に言うと工学部だけなら東工大が日本最高と言っても過言ではないレベルである。実は工学分野に関してのみ言えば東大はやや下がる。それでもAランク以上であることに変わりはないが。

さて、一般入試の場合は、ほとんどの人がまず自分の希望する学部を選択した上で、それぞれの偏差値に見合った大学を受験するわけだが、私が受ける3年次編入学試験の場合はいくらか異なった様相を呈する。一般入試でここまで考えて学校を選ぶ人はごく少数であると思われるが、自分のやりたい研究を行っている大学を選ぶという少々特殊な選択を行うことがある。入学した段階で3年生であるので、すぐにでも研究室配属を気にする必用があるのである。また学校によってはその大学の教員にコネを持つ教員がいたりするため、こういった環境もプラスに作用する場合がある。

私はこの時点で敗北が決定したようなものだ。ある教員に、自分がやりたい研究について相談したところ、まず一番に名前が挙がってきたのが東工大だったわけだ。その逃げ先として私が受ける大学はT大S大N大である。詳しい大学名は伏せるが、大学は日本全国にあるとだけ言っておく。ちなみにT大は東大ではない。


ストレスで発狂寸前だから困る。



6月20日(水)19:33 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

時をかける少女

今更ながら鑑賞したのでここでレビューする。

噂ほどの出来ではない。

まず感じたのは、地上波のアニメと比べ声優陣の演技が自然体を意識しているということだ。あのアニメ独特のぶりっこ的なオーバーアクションを嫌う人は多いが、それをなるべく排除した点についてはオタク層以外の一般層からもある程度の支持を受けたことになる。しかし地上波のアニメを見れば見るほどこの作品の声優の演技力には疑問を感じることになるはずだ。明らかに棒読みである。
もしこの作品の脚本を実写で映像化した場合、我々は役者の「動き」と共にその台詞の意味を汲み取ることができるが、アニメにおいて実写と同じレベルの感情を台詞に込めたところで、視聴者にそれ相応の意思伝達を可能とすることは不可能である。これは視野から伝達される情報の次元の違い(二次元と三次元)にあることは明らかであり、そのためにアニメ声優はオーバーに振舞うのであって、この部分をいかに評価するかによってこの作品の評価が分かれる。
またこのことについては、ピタゴラスイッチでも有名な慶応大学の佐藤教授が著名である。学術的にも人間の脳とアニメーションの関わりは研究が進められている。

さて次は脚本についてだが、これはアニメとしての評価と映画としての評価は全く逆となる。映画として見ると、この手の展開を見せる脚本は猿の惑星の時代にほぼ完成し、最近のマトリックスによって完全に開拓され尽くしたと考えても良いと思われる。どこかで見たことのあるような脚本と設定、そして舞台背景のつなぎ合わせによってのみ成立しているこの作品の脚本には、残念ながら独自性が見られず、全てにおいて二番煎じと言わざるを得ない。
アニメとして見ると、こちらでも似たような脚本は多く見かけるのだが、ある意味でそれらの集大成であり、見ていて面白いアニメに対する脚本のプロットとその視覚効果についての一種の答えの提示であると考えられる。主人公のどのような心境の変化に目をつけ、そしてそれに翻弄される周囲の人間が主人公に与える影響を作品のテーマの伝達に利用する上で、最も基本的な手法を用いたのがこの作品である。また、この手の技法は欧州ではともかく、アメリカではあまり歓迎されないということも覚えておいてもらうと嬉しい。

BGMや背景について追求することもできるが、字数制限のためここまでとする。作画についてはその手の人に任せよう。



6月17日(日)15:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

blogの更新速度に関して

現在このblogを更新する時間は非常に少なくなっています。これは7月いっぱいまで続くものであり、定期的な更新はほぼ不可能となっています。

ご了承ください。



6月14日(木)19:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

覚悟を決める時がきたか

7/7~15

この一週間が私の将来を決定付けることになる。この間に私は関東-八戸間を三往復しなければならない。
さて、そろそろ覚悟を決めるとしよう。



オナップラー刃牙
http://sakura02.bbspink.com/test/read.cgi/onatech/1118754197/l50
名スレすぎる

私の友人にもその道を極めんとする者がいるわけだが、その話はよしとして、このスレはあまりに名スレすぎる。数あるネタスレの頂点にあるスレとして永久に補完すべきこのスレの存在は、童貞紳士諸君にとってはかけがえのない聖典以上の価値を示す。
ここまで男臭いオナニーは始めて見た。たったこれだけのことで私にこのblogの更新を促したこのスレの破壊力を是非最後までお楽しみいただきたい。そして願わくば、このスレに挑戦する真のオナニストの登場を期待してやまない。



6月11日(月)20:55 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

ナルキッソス 本編① 

なんという見事な対比

姫子プロローグにおいては全く描かれていなかった心情の変化を、ここにきて読ませるというかたちでプレイヤーに提示している。これは他のエロゲ等でも見られる手法であるが、前作で語られてこなかったセツミの心情をここで語るということはまさに前作へのアンチテーゼであると言うことができる。
前作においては、主人公もヒロイン(セツミ)も静的な性格付けが行われていたから、その点主人公=プレイヤーにおいてセツミの言動の意味を推測するしかなかった。またこの点がボイスなしでプレイすべきと評価された点でもある。今作ではこれに対し、公式側から大きなヒントを与えるかたちとなっているわけだが、それでは実際にどれだけセツミが影響を受けたのかという話については残念ながらプレイヤーが感じた通りというのが公式側からの答えであり、プレイヤーが10人いれば10人のセツミがそこにはいるわけである。
個人的な意見を述べるならば、セツミは姫子と同じ結末は辿りたくなかったのだと思う。またセツミは結局最後まで姫子を理解できなかったとも考えている。それを自らの立場から理解しようとするのが前作なのではないか?


美月さんは病院で何をしておられたか?

さて、今作の最大の謎であり、最大の見所といえばここだろう。何故「姫子」と名を変えて病院に潜入する必要があったか? まったく三十路すぎというのに落ち着きの無い人であるが、もしかしたらおめでたという4文字に期待せずにはいられないわけである。そんな身重な身体で富士山に登ろうという心意気に惚れ直さずにはいられない我々猫儲であるが、いや、もしかしたら日和かもしれないという儲のために言っておくと、彼女はねこねこと共に死んだということを忘れないでほしい。彼女を嫁に貰った人は多数いると予測されるが、それはあくまで一種のサーヴァントだと思っておく必要がある。オリジナルの日和はねこねこ帝国の崩壊と共に滅んだ。
車をかっ飛ばす彼女を見ていると、おそらく2ヶ月といったところか。ただでさえ敵の多い世界に住んでいる彼女等一族なのだから確かにその辺の病院に預けておくわけにはいかず、とりあえず信頼の置けるカトリック系の病院を準備したという予測が最も妥当なところだろうか。30代での第一子出産となると結構な高齢出産だと思われるのだが、それでも呑気にアイスを食べる彼女を見ていると、最早全てを通り越して大阪のオバハン的な強さを感じてしまう。

別当家はまだまだ安泰なようだ。



6月8日(金)00:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス 2 (姫子プロローグ)

流石にそこまでがめつい卑怯な真似はしないだろう片岡大先生は。

ねこ儲をみごとに引きつけるような、かつこの作品で片岡氏を知るプレイヤーに向けて送られるねこ作品プレイ前提のネタ振りはまるで彼がこれでねこ作品との完全なる決別を遠まわしに表現しているような虚しさも一方で感じながら、もう一方では彼自身が楽しみながら、かつ自由に書くことによって、より身近に彼を感じられることへの喜びも得られた。
ねこねこ作品のネタを作中に加えたことに対しては、人によってはマイナスとして捉える者もいるだろうし、それはそれで間違った答えではない。しかしながら彼自身が自分の作りたいように作ったと明言している以上は、すくなからず彼の心の中におけるねこねこ作品の占める割合は大きいものなのだろう。

開始直後の第一印象から言わせてもらうと、これなんてマリア様がみてる? であった。30秒後にこの印象は見事に払拭されることになるのだが、こういったノベル形式の作品で女性を主人公に据えることの違和感を感じさせないテクニックはまさに見事である。
ほとんどが登場キャラ同士のセリフで賄われている今作のテキストは、前作のそれと比べると明らかにエンターテインメント性を意識している。特に前半の姫子プロローグにおいてはそれが顕著で、前作でいうセツミのポジションに彼女を置くにあたっては、やはり前回のそれをなぞる必要があったのだが、この点において前作はセツミ一人称の心理描写の割合が高かったため、ここにあえてボイスを必用としなかった。またこれはもうちょっと後から分かることなのだが、あのような性格付けがなされているセツミとの接点を極力場面の変化を起こさないように作るにはどうしても聡明な性格付けのなされたヒロイン(真の意味で)が必要となった。全く逆の性格付けで似たような書き出しの雰囲気を出すのは非常に難しいのだが、ここを描くためにテキストのほとんどをセリフ部分とするという、前作とは全く逆の手法を用いている。そのため中には「見ていて楽しめるようなワンシーン」も作られていくことになる。




長いシリーズで続きます。



6月5日(火)22:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


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