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エロゲと英語のブログ
 



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チャップリン 街の灯

久々に神の作りし映画を嗜む

私がチャップリンを語るときに欠かせないのがこの街の灯の魅力についてである。私がこの映画に出会ったのは、中学校入学直前のまさにこの季節だったと克明に記憶している。それだけこの映画には衝撃を受け、エロゲにおいてもある意味で悲観的な結末から、その中にあるささやかな幸福や満足感に対して価値を見出すようなことを好んでやるようになってしまった。人生観にも多大な影響を与えていることは言うまでもないが、それについてはここでどれだけ言おうとも、ネットラジオでの私を知っている者に対しては無意味であろう。
チャップリンの名作は枚挙に暇がないが、私が確実に言えるのは若いうちにひとつでも彼の映画を知るべきであるということである。彼はコメディアンとして若年層にも著名であるが、その実彼の映画は非常にメッセージ性が強く、世界恐慌や第二次世界大戦といった当時の世相に対しての一種の皮肉がコメディタッチで描かれる。しかしながら、いくつかのチャップリン映画を見ていくうちに、彼自身が演じる主人公役の性格や身分について、ある程度の共通性を見出すことができる。あらゆるチャップリン映画において、彼の演じる主人公役は役立たずであり社会の最下層であり、すなわち当時における、教養のない労働者階級であり、その中でも下の人々なのである。だがしかし、現代以上に労働者階級の扱いが悲惨だった当時において、主人公自らの生き方に何ら悲観的な一面を見せない。常に彼なりにできることをやり遂げようとして、その結果がコメディタッチに表現されているわけである。もちろん現実では映画のように笑いが起こることもあるわけがないが、それでも挫けることなく厳しい社会で生きていこうとするその姿に心打たれない者はいないはずだ。

You?

彼女は問いかける。「あなたなの?」と。
日々の生活にすら苦労する主人公はあろうことか愛する盲目の少女のために危険な仕事に就く。彼女にはお金が必要だった。しかし目が見えないので働けない。そこで主人公は自分が代わりに働こうというのである。なんと素直で真っ直ぐな心だろうか。そこにはお金で買えない「真心」が存在する。
彼女はその「目」で何を見たのだろうか。それは明らかにもうひとつの「目」で見たものとは異なっていたのだ。それは失望なのか、それとも感謝なのか、もしかしたら心の底からの愛かもしれない。映像からは、ただ彼女の無表情が印象的である。

You can see now?

チャップリンは問いかける。「見えるかい?」と。
そこにあるのは、理想とはかけ離れた現実のみである。それはひたすら悲しいことだ。何がそのようにさせ、何故このようのなったのだろう。その答えはチャップリン演じる主人公すら持っていないのだ。だからこそ、これまで人のみを知り、社会を見てこなかった彼女に問いかけるのである。

Yes, I can see now

これはどちらの問いかけに対する答えだろうか。「ええ、見えてるわ」の返答は、まさにこの映画のクライマックスに相応しい一言である。
その先を述べることすら躊躇われるあまりにも有名なこのカットは、映画を観ている我々への問いかけにすら感じられる。社会での地位や名誉とは遠いところにある、真の意味での「人間関係」と、それに無関心な社会の対比は、我々が社会で生きていく上でも忘れてはいけない最も簡単な「繋がり」の重要性を説いているのである。


このような話をすると「ニート大勝利」とか言い出す輩もいるが、ニートの諸君に対しても、この作品は戒めのメッセージが込められていることを最後に付け加えておきたい。社会から目を逸らして生きることはすなわち、盲目の少女と同じで、社会では永遠の弱者であり続けるということである。



4月2日(金)02:02 | トラックバック(8) | コメント(0) | テレビ・映画 | 管理


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