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エロゲと英語のブログ
 


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I'veの再評価

やはりエロゲボーカル曲の原点はここにあった

最近偶然ニコニコ動画でI'veレーベル名曲集なるものを視聴し、数多ある製作曲の再評価を行うべきだと思い至った次第である。昨今は私もこの業界の一線から身を引いて久しく、特定のメーカーを除いてはボーカル曲も自主制作されることが多くなったことを知るのみではあるが、それでも彼らI'veの存在感そして安定感は最早述べるまでもないといったところだろうか。
エロゲ業界を知らないものからすると、I'veという単語すら聞き慣れないところかと思われるが、その実態は「レーベル」という広い意味での楽曲製作集団というよりも、KOTOKOという名の歌手を中心としたゲーム系ボーカル曲請負歌手協会である。ただし必ずしもこのレーベルを冠する義務や暗黙の了解は存在せず、時にI'veに属する歌手ですら個人活動を行う。この集団と他の集団の大きな違いは、声優活動を主としているかどうかであり、I'veは元から音楽制作を主としているためか、未だその独特のクオリティーは他の追随を許さない。
彼らは仕事の一環で曲を製作し歌うのではなく、曲を製作して歌うことこそが仕事であって、このことがいわゆるオタクコンテンツとその他の音楽業界との橋渡しになっていることも興味深い。ある者はここから二次元の魅力を知り、またある者はここから音楽そのものの魅力を知るのである。「一般人でも聞ける」と銘打って彼らの曲が取り沙汰されることは多々あるが、それはやはり元が純粋な音楽制作集団であるからこそなのだろう。

雑食系音楽集団

I'veの凄さはなんといってもその中心であるKOTOKOが何でも歌うということに尽きる。彼女がいなければ、この業界も間違いなく全て声優ビジネスに巻き込まれていたことだろうと思う。確かに昨今はほぼそのようになってはいるが、今やI'veは、エロゲ業界における数少ない良心と言っても過言ではないだろう。なんとかその門戸を音楽で食っていこうという人々に広く開放することはできないだろうかと私は考える。私は声優業を主とする集団がアイドル顔で巷を席巻する現状を善しと思わない。顔を出したいなら、最初からそちらの業界で勝負すべきなのだ。下手をすると、やがて声優をやればTVに出れると思った人たちが声優業界に集中し、本業のクオリティーの低下にも繋がる。そのようになる前にむしろ、二次元業界とは係わり合いの無い音楽業界からこちらの世界に技術や人員を輸入して、ゲーム音楽というジャンルの発展に寄与させるべきではないだろうか。
話をI'veに戻すと、それだけI'veという存在は貴重ということであって、改めてその軌跡を辿ることは、ゲーム業界全体を通しても、その発展を知る上で非常に重要なことなのである。

【Sledgehammer Romance】元長さん今何してはるんすか?

KOTOKOの声質といえばそれまでだが、やはりどんな曲も「一般人受けする」という観点では少々弱い印象を受ける。しかし大塚 愛があれだけ単純な歌詞の曲で成功しているのだから、エロゲ曲が巷で聞かれるだけの土台はあると考えられる。
個人的にI'veエロゲ提供曲最高傑作と思っているImaginary affairであるが、これを是非aikoあたりに歌ってほしいと思うのは私だけだろうか。歌わせる人を選べば、いくつか通用する曲があると私は考える。KOTOKO本人に合っている曲調というものは、Face of FactWe surviveに見られるような、打ち込み臭が強く比較的早いテンポの曲であり、残念ながらこのような曲は大衆受けし難い。

長くなったのでこのあたりで切るが、エロゲから長らく離れていた諸君も、改めてI'veの魅力を再発見する旅に出てみてはいかがだろうか。



6月11日(金)03:45 | トラックバック(21) | コメント(5) | 趣味 | 管理

チャップリン 街の灯

久々に神の作りし映画を嗜む

私がチャップリンを語るときに欠かせないのがこの街の灯の魅力についてである。私がこの映画に出会ったのは、中学校入学直前のまさにこの季節だったと克明に記憶している。それだけこの映画には衝撃を受け、エロゲにおいてもある意味で悲観的な結末から、その中にあるささやかな幸福や満足感に対して価値を見出すようなことを好んでやるようになってしまった。人生観にも多大な影響を与えていることは言うまでもないが、それについてはここでどれだけ言おうとも、ネットラジオでの私を知っている者に対しては無意味であろう。
チャップリンの名作は枚挙に暇がないが、私が確実に言えるのは若いうちにひとつでも彼の映画を知るべきであるということである。彼はコメディアンとして若年層にも著名であるが、その実彼の映画は非常にメッセージ性が強く、世界恐慌や第二次世界大戦といった当時の世相に対しての一種の皮肉がコメディタッチで描かれる。しかしながら、いくつかのチャップリン映画を見ていくうちに、彼自身が演じる主人公役の性格や身分について、ある程度の共通性を見出すことができる。あらゆるチャップリン映画において、彼の演じる主人公役は役立たずであり社会の最下層であり、すなわち当時における、教養のない労働者階級であり、その中でも下の人々なのである。だがしかし、現代以上に労働者階級の扱いが悲惨だった当時において、主人公自らの生き方に何ら悲観的な一面を見せない。常に彼なりにできることをやり遂げようとして、その結果がコメディタッチに表現されているわけである。もちろん現実では映画のように笑いが起こることもあるわけがないが、それでも挫けることなく厳しい社会で生きていこうとするその姿に心打たれない者はいないはずだ。

You?

彼女は問いかける。「あなたなの?」と。
日々の生活にすら苦労する主人公はあろうことか愛する盲目の少女のために危険な仕事に就く。彼女にはお金が必要だった。しかし目が見えないので働けない。そこで主人公は自分が代わりに働こうというのである。なんと素直で真っ直ぐな心だろうか。そこにはお金で買えない「真心」が存在する。
彼女はその「目」で何を見たのだろうか。それは明らかにもうひとつの「目」で見たものとは異なっていたのだ。それは失望なのか、それとも感謝なのか、もしかしたら心の底からの愛かもしれない。映像からは、ただ彼女の無表情が印象的である。

You can see now?

チャップリンは問いかける。「見えるかい?」と。
そこにあるのは、理想とはかけ離れた現実のみである。それはひたすら悲しいことだ。何がそのようにさせ、何故このようのなったのだろう。その答えはチャップリン演じる主人公すら持っていないのだ。だからこそ、これまで人のみを知り、社会を見てこなかった彼女に問いかけるのである。

Yes, I can see now

これはどちらの問いかけに対する答えだろうか。「ええ、見えてるわ」の返答は、まさにこの映画のクライマックスに相応しい一言である。
その先を述べることすら躊躇われるあまりにも有名なこのカットは、映画を観ている我々への問いかけにすら感じられる。社会での地位や名誉とは遠いところにある、真の意味での「人間関係」と、それに無関心な社会の対比は、我々が社会で生きていく上でも忘れてはいけない最も簡単な「繋がり」の重要性を説いているのである。


このような話をすると「ニート大勝利」とか言い出す輩もいるが、ニートの諸君に対しても、この作品は戒めのメッセージが込められていることを最後に付け加えておきたい。社会から目を逸らして生きることはすなわち、盲目の少女と同じで、社会では永遠の弱者であり続けるということである。



4月2日(金)02:02 | トラックバック(8) | コメント(0) | テレビ・映画 | 管理

Nursery Rhyme プレイ記2

日常をいかに「普通」に描くか

エロゲ的な意味での「普通」とは、現実のそれとは異なり、より稀にしか起こることのないと思われる出来事が次々に起こる中で、主人公=プレイヤーとしてそれが自然に受け入れられる状態になることを意味する。結局、この手のゲームに銭を注ぎ込む人間とは日常の中に異性とのふれあいを求めているのだろうということを教えてくれる。特に萌えを重視する作品の場合には、主人公はヒロインにとって頼られる存在であることが重要であり、またプレイヤーはそうあり続けなければならないということを強要される。つまり、主人公に個性が与えられることの多い昨今の萌え系作品においては、主人公がどれだけ自分に似ていないかという点と、選択肢によるイベントの変化がどれだけプレイヤーの望んだ、もしくは良い意味で驚かせるものになっているかが、自身の作品に対する感想に直結する。作品を客観的に評価する場合には、主人公がどれだけ作品の世界観に対して浮いていないかが重要視されるが(あえて浮かせている場合もある)、この点でこの作品の主人公はやや優柔不断な点があり、SFチックな設定を盛り込んでキャラの特徴付けをより強めている部分と、やや相対する印象を受ける。分かりやすく言うと、ヒロインの存在に対して、主人公がその世界観に埋め込まれているに過ぎないのである。つよきす等でも同じような主人公の用いられ方をされており、これが悪いものとは言い切れないが、あくまでエロゲーという立場上(ギャルゲーであっても不文律として)、この作品の場合には主人公が男性であることを意識させる描写があまりにも少なすぎることが、評価を下げざるを得ないひとつの要因であることは間違いない。一方で、5年も前に草食系男子という概念を持ち込んでいた作品と考えれば、草分け的作品として高く評価できるだろう。

こういう作品に限ってエロシーンで主人公がマッチョ

現在の一週目終了段階では、誰にもフラグが立たず、ある種のハッピーエンドで終わったわけだが、さすが萌えゲーだけあって、ただ何も起こらないことが肯定的な印象を与える。プレイヤーに二週目を促すための工夫が、私が好むような作品とは根本的に異なり、同時にTo Heart2のような胸の高鳴りが得られないことも、私の気持ちをプレイ終了の方向に向かわせてしまっている。どんなに客観的にエロゲを評価しようとも、そのエロゲをプレイするのは主体性を持った私自身なのだから、こればかりはどうしようもないものである。


そこで「もう一周だけやって終わろうか」と思うのも私自身なのである。



1月16日(土)16:31 | トラックバック(9) | コメント(0) | 趣味 | 管理

Nursery Rhyme プレイ記1

普通に面白い

さて、新年一発目の話題がこれというあたりで私のひねくれた性格が見て取れるところではあるが、そらいろリトバスを差し置いてこれに食指が伸びたことには、いくつか理由がある。まず第一に、この作品のディスクを手放さなくてはならなくなったこと、第二に、その話題性に反して本編の内容を知るものは非常に少ないこと、最後に例の曲への愛郷である。今や廃れつつあるニコニコ動画における弾幕という文化の発端ともなった作品のひとつであり、時代背景としてはTo Heart2と共に昨今の萌え系作品の礎として重要な位置にある作品であるため、この作品の内容を知ることは、私のような特にシナリオを重視するエロゲを評論する者にとっては、ひとつの通過点となり得るのである。
シナリオを重視するエロゲとは、広義にはいわゆるエロゲにおけるエロを描くために付随するシナリオではなく、シナリオにエロが付随する作品全般を指す。すなわち直接的なエロを極力避けようとする萌え系の作品もこれに含まれるが、その線引きはプレイヤー(評論者)によって異なる。狭義には、完全にシナリオありきで、キャラは全てそのシナリオを演じるための一要素でしかない作品を指し、つまり描こうとしている内容がヒロインそのものではない作品がこれに当たる。例としては特にONEが分かり易い。ヒロインによらず、EDは同じ展開である。萌え系の作品はヒロインの描写を徹底するため、この定義からは外れることになる。もちろんこの線引きも人により異なるが、わりかし狭い定義のニュアンスで用いる人が多い。
前置きが長くなってしまったが、やはりこの作品は典型的な萌えゲーに分類できる。メーカーHP等からも分かるように、萌えゲーの視点からシナリオ重視、すなわち萌えと感動(「泣き」は更に狭い意味で用いる)の両立を目指した作品というわけである。昨今のエロゲーでは主流となっているこの手法も、当時はまだ萌えという表現を一人のヒロインにより濃く乗せることが重要視されていたせいか、やはりプレイヤーを作品の世界観に引きつけるための独自の工夫が見られない。ただヒロインの魅力だけで引きつけようというには、このメーカーの処女作としては話題性に欠けた側面もある。しかしながら、メーカーとしての方向性を定めた作品として捉えると、今となっては一定の地位を築く上で成功を収めた作品と考えることもできるだろう。

「新鮮」が「朝鮮」に見えた

この作品でも相変わらず耳にかかるような声を出す声優ばかりが活躍していることはさておき、制服のデザインは当時の作品として見ても脱帽である。
いわゆる異人と言われるジャンルが日常として登場する作品は珍しくないが、魔女という形態がこうもロリキャラとして描かれるのが定番というのは私も疑問に思うところである。似たようなところで、双子という設定が付随するヒロイン同士が全く似ていないことも容認される風潮があり、この作品も例に漏れない。そして淡々と定番イベントをこなす中で、この作品だけに見られる特長が一切無いことは特筆すべき点だろう。これこそがこの作品の知名度とは裏腹に、エロゲーとしては評価されていない最も大きな要因であることは誰の目から見ても明らかである。だがしかし、しばらく無名の萌えゲーから離れていた私としては、この感じは実に久しいものであったし、評価する上でも要求課題をきちんとこなしているという点で減点することはない。メーカーが処女作としては堅調な作品で打って出たということで、ライバルは多いながらもこの路線で勝負するというメッセージとして捉えられる。
個人的には、どこか遠い世界の出来事のように感じられて、あまり好きではない世界観ではあるが、評価する上で私情は極力排除すべきなので、この点に対して意見するのはやめにしようと思う。



1月3日(日)08:22 | トラックバック(2) | コメント(1) | 趣味 | 管理

Feeling Heart

古き善き時代への再訪

胸が苦しくなるとはよく言ったもので、その作品は私が経験しなかった青春の1ページを埋めるに相応しい一時を提供し、ある意味で私の人生を狂わせ、またある意味では心のオアシスともなり得た。
おそらくこちら側の業界で最も偉大な作品であり、そしてその後の全ての作品の原点とも言える。我々のような同じ穴の狢は誰もが彼女たちとの一時に思いを馳せ、そして今の姿があるのだ。

エロゲアニメ最高傑作であり私が唯一万人に進める作品

この作品のアニメ版(旧作)は私の知る現代アニメにおいて最も評価の高い作品であり、今後これに匹敵するアニメはやはり現在の萌え文化が衰退するまでは確実にあり得ないだろうと断言できる。ただそれだけという状況を描くことの難しさ、そして日常の中で展開するヒロインたちの僅かな心の揺れ動きを可能な限り透明に描くことに成功した非常に完成度の高い一作である。
今改めてこの作品を見ても、現在のアニメがどれだけ間違った方向に進化したかが窺い知れる。キャラの良さだけをアピールする風潮は今に始まったものではないが、本来このような娯楽は脚本ありきであって、キャラはそれを演出する一要素でしかないのである。

主人公の前でキャーキャー言い合っているヒロインを現実で想像できるだろうか?
誰の目から見ても分かるような幼稚な行動で心情の変化を表現する人間がいるだろうか?

現実の人間は必ず心の中を悟られまいとする。そこは個人に残された最後の砦であり、最後まで自由な空間でなければならないことを自身で理解しているからだ。これをいかに表現して理解させるか。この部分にこそ製作者の手腕が問われるべきである。ある映画では、ただ演者の顔がアップで映し出されるだけになり、またある映画では、影だけでそれを表現する。我々はただそれだけで演者の心情を理解しようとするのであり、その本能をせき止めるような、ただそのまま答えだけを見せるような作品はただただ幼稚なだけなのである。
この作品もやはり女性キャラが所狭しと主人公の周りに付き纏うが、面白いことに、主人公に好意を抱いていることが直接表現される場面は非常に少ない。ただひたすら主人公とベタベタしないことが、逆にヒロインたちの一時の淡い恋心を連想させる。「ちょっと気になるかも・・・」という気持ちはありながら、それが霞の中に消えていくが如く表現されるヒロインの感情表現は見事である。視聴者がヒロインの魅力を発見しようとする動きに対して、極力無駄な邪魔を省こうという思慮が同時に見て取れる。強制的に魅力ある女の子だということを視聴者に押し付けることはしないのである。
後半の2~3話はこれこそ神作で、決してやりすぎず、抑えすぎることのない絶妙な線をゆく表現力は、他の追随を許さない見事なものと言える。無音であることが、キャラ同士の会話の中での心情の変化を我々に伝える。13話、志保があかりの家にお見舞いに来るカットを見る度に、私はアニメの可能性を改めて再認識する。これほどまでに、最初から見ることを進めたいアニメは他に無い。最後に、心の奥底からとてつもない虚無感が襲ってきてこそ真のオタクだとも言えるアニメだが、改めてアニメの面白さを知るためにも、まだ未視聴の方は是非全話鑑賞をお勧めしたい。



11月27日(金)00:10 | トラックバック(3) | コメント(0) | 趣味 | 管理

カルタグラ~ツキイノ病~ 再考

ルート確認に起動したのが間違いだった

アルコール依存症の人間がやっと酒を断てたと思ったら、あるきっかけでそれがフラッシュバックしてしまうという現象が良く知られているが、今回の私はそれに近い状態で、この一日を無駄にしてしまったということになるだろうか。他にやらなければいけない用事は多々あるし、エロゲにしても積み残しの作品が永く起動を待っている。既にフルコンプ済みの作品を繰り返しプレイすることは、朗読でなければよっぽど思い入れのある作品だけに留めたかったところだが、あの怒涛の後半を久しぶりに目にしたとき、私の和菜への一種の愛と言うのだろうか、まるでいい成人が若かりし頃の青い記憶を手繰り寄せるが如く、セピア色のメモリアが私に時間を忘れさせたのだ。

カルタグラの魅力

私が真の意味で「萌え」を意識する作品はほとんどない。基本的に「アニメとか気持ち悪い」と述べる一般人の考えと私の考えは同じだからだ。しかしながら、エロゲの魅力はそのシナリオにこそあって、キャラクターというものはあくまでそういうものだと割り切っている部分が大きい。実際のところそのキャラクター性も、シナリオの一部として切り外せないものなのである。数多くの作品をプレイしてくると、自然と他のプレイヤーがどのようなキャラを好んで、どのように立ち振る舞えば彼らの中で同調できるかも分かってくるので、普通のエロゲでは私もこの感覚に従う。もっとも、この感覚も十人十色だが、選択肢は作品の中で限られているので、必ず同意見の人間が現れることになる。
これほどに、全てのキャラに対して心から愛着を持てる作品は他にない。おそらく一番大きい理由としては、昨今の萌えゲー路線からは一線を画す、あの魅力的なCGだろう。例えば髪の色や、余計なチラリズムなどエロゲ独特の不自然さといういうものを極力排除しながら、それでいて豊富に用意される立ち絵と、あくまでキャラに媚びず、シナリオが中心にあることを意識させる一枚絵のアングルが見事である。丁度真ん中にヒロインを描けばよいというものではないということをよく理解している。挿入される一枚絵はキャラの様子を切り取るのではなくて、その場面場面を切り取るのである。
キャラの魅力を引き立たせるには、CGだけではなく、そのシナリオでの立ち回りに大きな影響を与える性格付けも同様に重要なものである。その中でも、キャラにエロゲ独特の変な属性を付与せず、あくまでシナリオ中の登場人物として、シナリオの雰囲気を壊さないことを第一に考えられていることが、逆にその魅力を際立たせている。要するに、自然なやり取りがどれだけあるかという点で、この作品は私に二次元的な要素を極力感じさせないような構成になっていることこそが、私にとってのこの作品の魅力なのである。約一名、七七というキャラを除いては。
ある意味で、七七というキャラもまたこの作品には欠かせない要素であることは間違いない。彼女の言動や行動力はまさにエロゲそのものであって、この部分が、この作品はそれでもエロゲ(二次元的)であることを主張する。似たようなところで、冬司というキャラがトンファーという非現実的な武器を使ったり、変な組織の幹部だったりするが、やはり些細な問題であって、重要なのは繰り返される主人公との自然なやり取りなのである。
私は思うのだ。萌えとはキャラが主張するものではなく、プレイヤーが個別に発見した、そのキャラの魅力を言うのではないかと。



11月19日(木)01:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

クリスマス迫る

ぼちぼち色々と決める時期になりました

さて、いよいよ冬も本格的になろうとしている頃合いであるが、私個人も今年の冬に向けて色々と準備しなくてはならない。とにかく今、リアル以外の予定で最も考えるべきは、難航している今年のクリスマス朗読企画における朗読作品選定である。目下次の作品の中からの選出で選考中である。

・SNOW
・ゆきうた
・Flutter of birds Ⅱ~天使たちの翼~
・CROSS†CHANNEL
・パティシエなにゃんこ
・遥かに仰ぎ、麗しの

意見や希望に関しては放送内もしくはblog内で受け付ける。これら作品以外で特に強い希望のある方は急がれたい。
G線が候補に無いことに関する意見は受け付けておりません。ご了承ください。

冬コミに関する件

今年の冬コミが12/29~31という日程となっていることは既にご存知のことだとは思うが、やはり冬は研究室が休みになるタイミングクリスマス朗読企画との兼ね合いが非常に難しく、参加の意向はクリスマス朗読企画の終了時に決定すると考えられる。また、しばらく帰省もしていないことに対する家族からの心配に応えなければならないという理由もある。
実際のところ、つい最近になって1月後半に東京出張が決まったことから、この時期の遠征は財力の面で非常に危険を伴うという大きな障害があって、しかしながらあの空気というものは、我々のような人間にとって、現実におけるその立場を改めて認識させてくれる非常に稀な機会なのであって、特別な目的が無くとも、その場にいることの意義は大きいのである。
1月の東京出張に関しての詳細は、いずれ放送内で話すとしよう。

企画内容

クリスマス朗読企画に話は戻るが、今年は天皇誕生日が水曜日という非常に微妙な日付に設定されているため、放送の開始がクリスマス(木曜~金曜)に合わせられない可能性がある。これは研究室での予定が決まり次第報告したいと思うが、企画開始日時のずれ込みによっては年越し後の放送となることも辞さない状態となり得ることをご了承願いたい。
企画名通りの放送日時で決行できる場合には、12/23に前夜祭が行われる。内容については言うまでもないが、今年は前夜祭まで通してVIPでの放送を計画している。
今回の候補作品を見るに、SNOWもしくはC†C以外の作品であれば、真の意味での一挙朗読が久々の復活を見せるかもしれない。
詳細の発表まで、もうしばらくお待ちください。

その他の企画

クリスマスの放送が終われば、次はバレンタイン特別放送となる。来年のバレンタインは日曜日であるから、放送の可能性は高い。朗読作品については言うまでもないだろう。
春休み朗読企画に関しては、現在それは舞い散る桜のようにの朗読が予定されています。


以上です。



11月18日(水)02:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

定期放送 コテ規制のお知らせ

最近のコテハン増殖について

私も少々やりすぎた所があったが、最近の定期放送はコテを名乗るゆとりが増えすぎているので、次回の定期放送の按配によっては、本格的なNG登録も視野に入れていきたいと考えている。
私の放送は基本的に内輪ネタで盛り上がることを避けるようにしている。そのためよくネタの重複をお詫びする意味合いで「普段から聞いている人は分かると思うが」というくだりを用いるが、特にコテハンは逆にリスナー側からそれを持ちかけてくるために、他の名無しリスナー諸君に対して、話題への参加をやや妨げてしまう傾向にあることは、前々から密かに危惧していたところである。

私がコテを名乗ることを求める場合について

時に私はコテを名乗ることを求めるが、それはあくまでその放送内においてのみの話であって、特に個性的で積極的にレスをしてくれることに対して敬意の念を払ってのものである。その放送回以降はネタとしての意味合いのほうが強いため、コテと名無しを使い分けるぐらいの工夫は欲しいところである。
コテは基本的に叩くというスタイルは崩すつもりも無いが、コテの名乗り方といい最近の低年齢化を受けて、次回以降の放送からいくらか扱い方を変えていくべきだろう。

一挙朗読に向けた対策

一挙朗読等の企画放送においては、現在定期放送で見られるコテに対しては完全なNG登録を予定している。一部のコテを優遇するような放送は、したらばにでも自板を設置してやればよいだろう。



11月4日(水)03:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

そらいろ つばめシナリオ (晴れ、雨)

【晴れ】おいまじやめろばか

あくまでエロゲーであるがゆえに、この手のシナリオにいかに説得力を持たせることができるかを考えるのは無粋というものだが、いや、ある意味で18禁だからこそ表現できるものもあるのだが、このシナリオばかりは特に我々のような人生のレールから外れないことを考えている人間にとっては、現実的にも、ある種の別世界における出来事のような感覚が強く残る。
このシナリオは間違いなく人を選ぶシナリオである。スカーレットのような、全く非現実的な世界観を展開する上でこのシナリオを用意するならばまだよいが、今回はラムネがベースにある以上、主人公の軽はずみな行動に対しては賛否両論分かれるところであることは間違いない。現実的にはこのような出来事に一種のタブーが存在するため、それをポジティブに乗り切ろうとする主人公が描かれることについての議論は避けるが、私は立場上、このシナリオが笑えない立場にあるため、このシナリオはどうしても素直に受け入れることができなかったことだけは間違いなく断言できる。

【雨】これを待っていた

ねこねこの真髄とも言うべきその流れを踏襲したシナリオ。晴れで未消化だった複線はこちらで回収され、往年のねこねこ作品を思い出させるには十分な出来であると言える。逆に言えば、あれからどれだけ成長したかという話になるのだが、個人的な印象で言えば、良くも悪くもラムネと同等かそれ以下の出来である。というのも、ラムネと世界観を共有しており、基本的なコンセプトも旧来のものを引き継いでいる以上、それは新たなねこねこの在り方として、再起一発目の作品としての評価は抑えざるを得ないというのが正直なところであるからだ。いわゆる採点競技と言われるスポーツにおいて、別の大会で同じ演技を披露しても採点者の印象は良くないのと同じ理由である。一方で、これまでの作品の繋がりを往年のファンに感じさせるギミックとして考えれば、これも悪いと言い切れない部分がある。旧来のねこねこからの繋がりを印象付ける意味合いは非常に重要である。
さて、そのシナリオであるが、今回はエロゲーが終わってからが本番という、なかなか挑戦的なシナリオ構成を取っている。技法としては主流の描き方ではないことは明らかだが、有名なところだとCLANNADがこの技法に近い。ネタバレのため詳細は記せないが、そういうキャラを登場させることによるシナリオの印象の変化は中々に興味深いところである。やはりプレイヤーも高齢化が進んできたということか、そういう年齢だと、このようなシナリオで心が痛むプレイヤーがいてもおかしくはないだろう。
幼い頃に「結婚しようね」とか抜かしていた甘い思い出を持つ人も少なくないかもしれないが、このシナリオはその究極系である。主人公の幼馴染とは得てしてそのような存在として描かれるが、エロゲーの世界において幼馴染と主人公の関係は全てにおいてそれが必然であったかのように描かれる。しかしどのようなシナリオでも、あまりに近くにいた存在に対して恋心を認識するまでの葛藤が描かれる。これはエロゲーのシナリオの書き方としては王道であり、プレイヤーの多くがそれを当然のことと認識している。おそらく現実でもそれに近いだろうという刷り込みすら起こっていて、そういう意味でこのシナリオは我々の認識に一石を投じる内容となっていることは評価できる。主人公の行動に何を感じるかは人それぞれであるが、私としては、年頃の男女が仲良くしていればこのような展開も当然と思える。ご都合主義ではないと判断できるためこの点で評価を下げることは無かったのだが、自分の思うがままのシナリオしか許容できない人はこの作品を避けるべきだろう。



10月22日(木)03:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

Twitterの導入とPC構成変更のお知らせ

PC構成の大幅な変更に関して

ASUS A8V-XE → Intel DG33FBC
AthlonX2 3800+ → Pentium DC E5300
PC3200 512MBx2 → PC6400 2GBx2(銀馬)

その他流用
ATI Radeon HD 2600Pro
鎌力 500W
DVR-111
DVR-110

この更新に伴い、次回のラジオ放送および実況V大学スレにおける講義では、音量調整その他の設定に関するテストをまず行う予定である。


Twitter導入に関して

かなり以前より登録だけは済ませていたものだが、その利便性を考慮して、大まかな私語はこちらを用いることとした。

http://twitter.com/roudokuvip

おそらく研究室などからの更新が行われると予想されるが、その内容は私語およびラジオ放送のより内輪なネタになるだろう。
公言性の高い内容はラジオ専用blogおよびここをこれまで通り用いることになる。




10月16日(金)03:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


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