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エロゲと英語のブログ
 



Nursery Rhyme プレイ記2

日常をいかに「普通」に描くか

エロゲ的な意味での「普通」とは、現実のそれとは異なり、より稀にしか起こることのないと思われる出来事が次々に起こる中で、主人公=プレイヤーとしてそれが自然に受け入れられる状態になることを意味する。結局、この手のゲームに銭を注ぎ込む人間とは日常の中に異性とのふれあいを求めているのだろうということを教えてくれる。特に萌えを重視する作品の場合には、主人公はヒロインにとって頼られる存在であることが重要であり、またプレイヤーはそうあり続けなければならないということを強要される。つまり、主人公に個性が与えられることの多い昨今の萌え系作品においては、主人公がどれだけ自分に似ていないかという点と、選択肢によるイベントの変化がどれだけプレイヤーの望んだ、もしくは良い意味で驚かせるものになっているかが、自身の作品に対する感想に直結する。作品を客観的に評価する場合には、主人公がどれだけ作品の世界観に対して浮いていないかが重要視されるが(あえて浮かせている場合もある)、この点でこの作品の主人公はやや優柔不断な点があり、SFチックな設定を盛り込んでキャラの特徴付けをより強めている部分と、やや相対する印象を受ける。分かりやすく言うと、ヒロインの存在に対して、主人公がその世界観に埋め込まれているに過ぎないのである。つよきす等でも同じような主人公の用いられ方をされており、これが悪いものとは言い切れないが、あくまでエロゲーという立場上(ギャルゲーであっても不文律として)、この作品の場合には主人公が男性であることを意識させる描写があまりにも少なすぎることが、評価を下げざるを得ないひとつの要因であることは間違いない。一方で、5年も前に草食系男子という概念を持ち込んでいた作品と考えれば、草分け的作品として高く評価できるだろう。

こういう作品に限ってエロシーンで主人公がマッチョ

現在の一週目終了段階では、誰にもフラグが立たず、ある種のハッピーエンドで終わったわけだが、さすが萌えゲーだけあって、ただ何も起こらないことが肯定的な印象を与える。プレイヤーに二週目を促すための工夫が、私が好むような作品とは根本的に異なり、同時にTo Heart2のような胸の高鳴りが得られないことも、私の気持ちをプレイ終了の方向に向かわせてしまっている。どんなに客観的にエロゲを評価しようとも、そのエロゲをプレイするのは主体性を持った私自身なのだから、こればかりはどうしようもないものである。


そこで「もう一周だけやって終わろうか」と思うのも私自身なのである。



1月16日(土)16:31 | トラックバック(9) | コメント(0) | 趣味 | 管理

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