HENTAI & English learning room
 
エロゲと英語のブログ
 


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活動再開

大変長らくお待たせいたしました。
リアルにおける山場を通過しましたので、再び英語の件を再開します。

今回からは、都合により文法も取り上げながら更新します。


【時制】

1・Glen and Wilma usually ( ) their washing on weekends.
are done
do
have been doing
have done

2・If you turn left and go straight, you ( ) the station on your right.
are found
found
have found
will find

3・I ( ) for a trading company in Tokyo at this time next year.
have been working
will be working
have worked
was working

4・Everyone ( ) it.
is knowing
know
knows
are knowing

5・Ken ( ) in England for two years when the war broke out.
will have been
has been
had been
would be



結局のところ4や5のような問題が解けるかどうかということなのだろう。私では選択肢がどれも同じ訳にしかならない。

【4】
皆がそれを知ろうとしている。

【5】
戦争が終結していたならば、ケンは2年間イギリスに滞在していただろう。

このような訳をしている内は研究室で中学校の教科書を読み直せと言われ続けることだろう。



9月30日(水)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | English | 管理

アフィんの件

ラジオ専用blog アフィリエイトの氾濫について

基本的にアフィ欄はラジオ内で取り扱っている作品とその他有名理系専門書を紹介するに留めていたのだが、先日理系の教科書に関しての要望があったために、いくつかの入門用教科書について紹介した。しかしながら、エロゲと同じように、自分に合った本というものは必ず存在して、私がそれを探し当てることは、よっぽど仲のいい友人で無い限りは不可能に近い。購入を検討される場合は、やはりこれもエロゲのレビュー等と同様に、紹介者の癖や好みをよく理解した上で吟味すべきである。

入門用教科書とは何か

一言に入門用と言っても、特に理系科目の教科書の場合は数学的に必須となる知識というものが存在して、学びたい内容がより専門的になるほど、入門書の敷居もそれに合わせて高くなる。例えば、いきなりフーリエ変換相対性理論について学ぼうと入門書を探してもまず挫折する。ここで必要となる「最低限のレベル」というものがどの程度の知識に置かれるかによって教科書の難易度も変わるわけだが、そこでできるだけ高度な内容を排除して分かり易く書いたつもりでも、数学の持つその正確性を突き詰めれば、文章での表現には誤解を避けなければならないという些かの限度があって、結果的に簡単に書かれたことを謳う教科書の大半は五十歩百歩となっている。
逆に高度な専門書になるほど、経験者はそれらを崇拝する傾向にある。数学的記述がよりスマートで、数式の証明やその説明が理解者に対して完結に無駄なくより一般的に書かれているからだ。数式をより一般化しようとすると、大抵の場合はその理解に必要な知識量が増大する。そのため彼らに入門書を尋ねると、大半の場合「この程度は理解すべき」というハードルが比較的高く設定されてしまうため、進められる教科書も高度なものになる。
さて、分かり易い教科書についてだが、残念ながら理系の世界では数式の暗記という技は通用しないため、証明や説明がより細かく記されている本こそ最良の入門書ということになる。「こういう式がある」ではなく「こういう式はこのようなことを説明しているのだ」と書かれている本こそ将来の糧に値する。かく言う私が現在そのような後悔をしているからこそ、私はこれを声を大にして言いたい。より細かな説明をしようとすれば、自然と文章量は増加して、結果的に非常に分厚い教科書になる。だが入門者にこれは好まれないことは自明である。
注文者はどこまでの理解を必要としているのか。これが最大の問題である。道具としてこれらの知識が必要となる人(工学)なのか、それ自体を詳しく追求したい人(理学)なのか、今持っている知識でその学問の全体を見渡したいだけなのか。特に今回は道具として利用する立場にいる人間からのリクエストであるので、数式を読むという部分を特に意識した。図や絵を見て漠然と理解できればいいならNewtonでも読めばいいだろう。我々はそうではないのだ。とにかく図を見ながら数式を理解していくのではなく、式から自分で図を書いて理解することに慣れるべきである。

私個人の好み

私は「わかりやすい」とか「納得できる」とか言う謳い文句のある専門書は基本的に好まない。何故なら数多くの数式を端的な文章で説明することはできないからだ。これらの本は、緊急でその内容を暗記することが求められた時にこそ有用なものである。本質ではなく、単に教科書内の文章としてこれを暗記するようでは、将来それを応用することはできない。自らの頭で考え、何故そうなるのかを自分の言葉で説明できて始めて理解となる。だからこそ、大仰なハードカバーのいわゆる「お堅い」専門書を私は好む。難しい本ほど読むに値する。後はそれに割ける時間に対して大まかな難度を下げていけばよい。上レベルの専門書から見ると、各レベルに対しての専門書は幅広くチョイスできる。残念ながら下からでは手に届く位置にある教科書は限られる。
文章の書き方について言えば、文章はなるべく著者の感情を含めず学術論文のような言い回しを用いているものほど良い。最近は読者に聴いて聞かせるような文体の本も出回っているが、これは余計に読者の思考を混乱させるだけで、訳書でない限りは断定的な表現が用いられるべきである。断定的な表現に対して「どうしてこうなった?」と思えるようになれば、そこからが勉強である。
疑問に思うことが勉強の始まりだと述べた。すなわち、教科書は最低二冊買うべきである。理解できない内容に触れたとき、二冊の教科書を見比べることで初めてその深さを知ることができるだろう。数式の証明ひとつにしても、そのプロセスの違いを見ることができる。

アフィ欄について

ラインナップは基本的に理系入門レベルであり、例えば文系の人間が興味本位だけでこれらの教科書に挑むことの結果はその人の数学的才能に左右される。しかしその地点は理系ならば誰もが通過しなければならない場所であり、すなわち理系最低レベルと言えるのである。
電磁気学に関して、あえて名著と呼ばれる教科書といかにも私が嫌うような一冊を用意した。どちらも購入すれば、教科書の選択が勉強に及ぼす影響というものを体験できるだろう。
微分方程式に関しては解き方のパターンをいくつ身に付けているかである。手法はやはり微分と積分と四則演算しか無いので、とにかく問題数をこなすことである。そのため教科書は方程式のパターンが数多く記されているものほど良いが、基本だけで良いならば教科書は特にどれが良いというものは無い。しかし上を目指すほど微分方程式は底知れない分野だということを知っておくと良いだろう。



9月19日(土)03:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

こなたよりかなたまで 再考

健速の現在を偲ぶ

さて、以降の定期放送における朗読作品も無事に決まったわけだが、ここでこの作品について改めての紹介が必要と考えたため、いくつか注目すべき点を述べよう。
まずこの作品は、言わずもがな健速氏の出世作でありデビュー作としてその筋には広く知られている作品であるわけだが、発売当時から大きく注目されていたわけではなく、元々は当時のシナリオ偏向というムーブメントを受け、良くも悪くもF&C作品としての評価に留まっていたことは有名な話である。では何故この作品が注目を集めるに至ったのか。それは口コミや各サイトにおける評価の高さといった要因からであるが、それを呼び起こすに至った所以は、それまでの同類作品に見られるような一種の個性を極力排除して、自身の表現力だけで勝負しようとした彼の挑戦が評価されたためである。もちろん、シナリオ以外の面でF&Cという老舗メーカーが持っていたノウハウでの優位もあったことは否めないが、彼がどんなシナリオを書くか、それを理解していたプレイヤーはもちろん皆無であったわけであり、時期的に泣きゲーというジャンルの定石やそれを可能とするスタッフの名がほぼ決定していた時期に、個性溢れる他シナリオライターを押し退け、自らの完成されたスタイル(表現法)を早くから確立した状態でデビューしたことが、彼がこの業界に驚きをもって迎えられた最大の要因ではないだろうか。どういう意味かというと、氏はI'veという点を除いては、その他に何か注目すべき点のある状態を初めから与えられなかったことが逆に成功に繋がったのである。

I'veの存在

この作品を語る場合に、もう1つ忘れてはいけないのがあの名曲の存在である。数多くあるKOTOKO系楽曲の中において常にベストとして挙げられるこの曲は、氏の描く透明感のあるシナリオに見事にマッチし、ひとつの作品を完成させる大きな役割を担うに足る。
名作に名曲ありとされるのがこの業界のお決まりであるが、この作品もその例に漏れない。あまりにも圧倒的なその曲に紛れて、もう一方のボーカル曲もまた非常に優れていることを知らない者も多いが、実はこの作品において、こちらの曲こそ評価されるべき楽曲であることを、私はこの場で声を大にして述べたい。あくまでひとつの作品という意味で語るならば、この曲こそ真の意味でこのシナリオを表現しており、同時にある意味ではF&Cだからこそ為し得るクオリティがあったからこそひとつの作品として纏められた作品と言えるのかもしれない。

絶望を感じさせないこと

実はシナリオ中でこれを為し得るライターは非常に少ない。それは儚さとして表現され、常に人間の持つ生への執着心として捉えられる。しかし氏はそうではなく、それは唐突に、そうでありながら誰にでも訪れる終着点としてこれを描いた。このシナリオにおける主人公の「優しさ」の在り方が透明感を与え、本人に比してそれを心の奥で納得できない他キャラとの対比が明暗を生み出している。
車輪で私を知った者がどれだけここを見ているかは分からないが、それと比べるならばこの作品は逆の表現で描かれていることを覚えておくと良いだろう。「強さの裏にある脆さ」ではなく「儚さの上にある強さ」を表現した作品はこのように描かれるのである。



8月31日(月)03:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 小さなイリス

最後にやりやがった

氏のファンの一人である私から言わせれば、最後の例の一節だけは理解に苦しむところだが、ねこねこ初期の頃からの布石としてポジティブに捉えておくとしよう。そもそも氏の作品で特にイメージが暗いと言われる銀色などの作品群は、あえて終盤の表現を大げさにならないよう抑えて描くことで、作中における負の表現を目立つようにしている。そのために氏の作品はどこか儚さを供え、悪い意味でも安眠ゲーと言われる所以となっているのである。
例の一節が登場するということはすなわち、彼がこのシナリオを手がけたという証拠を彼自身が残したということであり、これは商業的な枠を超えて、自身が特に自らの作品であることを主張したかったことも伺える。ということは、これまでの彼の作品に繋がる、何かしらの想いが込められたシナリオであると同時に、氏の中で、自らが持つ世界観や人生観といった、文章を書く上で最も前提となり得る部分で、十分に納得できた、すなわち強い自信を持って書き上げたシナリオであることも意味する。しかし同時に、それは他人に対しては強烈なエゴであり、シナリオライターとしての自信の評価と、プレイヤーの評価の解離の可能性を孕む。
常々述べるように、私は氏の大ファンの一人であるため、できるだけ客観的な評価を心がけようとも、彼の描くシナリオに関してはその限りにはなり得ない。好きであるとはそういうことであり、作品のレビューを見て購入を検討する場合には、その文章を書いている人がどのような作品を好むかを知ることが重要である。

我々は最後に笑えるか

無印時代のナルキッソスとは似ても似つかない作品になっていることは、私もこれまであえて努めて無視してきたが、ついにこのシナリオで嘘はつき通せなくなってしまった。正しくは、無印ナルキから派生したスピンオフ作品と捉えるのが正しいのだろう。
さて、この種のシナリオはある種の道中記と捉えることもできる。同時に、ある意味で銀色の第一章によく似る。笑わないヒロイン(主人公)と、ある意味自らの人生に悟りを開いている主人公(ヒロイン)が、互いの心に欠けている部分を見出しながら、やがてヒロインが死に場所を得る。このように書くと、氏の書いたシナリオは須くその通りになるのだが、必ずここで考えるのは何故それまでの人生を捨てるような決断を下せるのかということである。我々はそのような人生を歩んできていないため、もちろんその気持ちを知ることはできない。ではシナリオライターの氏はどうなのかというと、彼にはそれを考える機会が過去あったことがおまけシナリオで語られる。そういった意味で、氏の考えてきたその「答え」を、何らかの形で表現しようとしてきたシナリオこそが例の一節を含むシナリオであって、氏の原点であると言える。



8月19日(水)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 メサイア

非常に素晴らしい

まず個人的な感想を述べさせてもらおう。このシナリオは非常に理解している。何をと言われれば、私の趣味をだが。
ありのままを見せようとする作品群において、陳腐な伏線はどうしてもシナリオの先読みに繋がってしまうが、それすらも、あたかも予定されていたかのごとくシナリオが進行することこそがこのシリーズの逆の意味での利点でもあった。しかしこのシナリオは、あくまで個人的にではあるが、それを考えさせない後半の展開と、それが功を奏してか、終盤の絶妙な伏線に対して非常に新鮮な感情を抱かせた。
この手の伏線は常に勇気が必要だ。下手に用いれば逆の意味で奇跡に等しい。しかし考えてみると、一酸化炭素が部屋に充満する前に 見知らぬ愛らしい女の子が「お兄ちゃん♪」って 玄関からお邪魔してくる可能性も0ではないのだ。そういった意味で、ライターは文脈によく気を使っていることがわかる。そしてこのことこそが、このシナリオで主にプレイヤーが考えることになるある種の条件である。

ブラックジャックによろしく

緩和ケア医療に関する話題が取り扱われたのは確か何巻だったか。なんとこのシナリオ、形式的にはやろうとしていることが同じに見える。しかしそれはあくまで医者としての立場に立った、すなわちその先も長く生きるであろうプレイヤー自身の考え方で、ただこれについて考えさせたいのであれば、先の漫画こそが詳しい。このシナリオでは、例の終盤の展開があって初めて、プレイヤーがこのシナリオの真意に気付くチャンスを与えられる。もちろんその真意の形は人それぞれであるが、要は一酸化炭素が部屋に充満する前に見知らぬ愛らしい女の子が「お兄ちゃん♪」って玄関からお邪魔してくる可能性は決して0ではないということだ。結果どうであろうが、そこにあるのは事実のみだ。もちろん悪いこととしてもこのような例は起こり得る。我々はこれを安全という言葉で表現し、そうでなけでば奇跡というわけだが、今述べたいことはそういうことではない。とにかく死ぬときは一人という至極当たり前のことについて、これまでのシリーズ同様に淡々と述べられている。しかしながら、このシナリオの特別なところは、終盤に至って、プレイヤーの思考とは違うところに焦点を向けさせるという技巧的なシナリオの組み立てである。流石にただヒロインが死ぬまでの過程を楽しむ作品ではないだけあって、色々な創意工夫が凝らしてある。

終盤に意味を見出せるか

事が起きてからの展開は、ひとつの物語を終わらせる上では必要不可欠だが、非常に蛇足的である。それはプレイヤーであるあなたにとって救いになるのか、ただそうであればそのようなイベントを挿入してよいというわけでもあるまい。しかし悲しいかな、このシナリオは超絶リア充の物語である。散々主人公に迷惑をかけるヒロイン(この章ではヒロインも男となる)が終盤で取る行動に対しても賛否両論あることが予想できるが、そういう人たちにはまず親友と呼べる友人を作ることから初めていただきたいものだ。



8月4日(火)02:29 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 -Ci- シーラスの高さへ

別の方向へ進化した

ただ事実のみを淡々と語ろうとするナルキのシリーズ中にあって、実に異例な表現が用意されていた。今回は2人の手の内が完全に明かされるという全く逆の進化に、このシリーズを何か勘違いしている連中からの批判は絶えないことだろう。
繰り返すが、このシリーズは見て感じたままの作品である。そのためどんなシナリオが用意されようとも、それを自らの都合のいいように解釈して、シリーズの中のひとつに収めるべきなのである。
また今回、ナルキ無印に原点回帰するボイスの重要性への問いを無印の時とは逆の意味で考えさせられる内容となっている。というのも、このシナリオはキャラ間の会話のリズムをシナリオの展開面で重要視しているからだ。おそらくこのシナリオにおいてボイスの重要性を問うような意思は無いと思われるが、これまでのヒロインが常に持ち続けてきた一種の儚さという印象を払拭し、シナリオの個別化を図る上で重要な役割を果たしている。主人公が生真面目な性格で描かれていないことも、これを助長している。おそらくボイス無しでプレイすると、このヒロインもどこか儚さを持ったような印象を持たせることだろう。

プレイヤーの期待は裏切られる

既に長くこのシリーズに関わられているファンの方々ならば、やはりその最後を望まずにはいられない。というより、そこまでの帰着をいかに展開するかという部分に初めから注目する。そういった意味でこのシナリオはプレイヤーの期待を裏切るが、死に関する表現が含まれ、水仙の花が登場しているという意味では、形式的にはシリーズのそれをきちんと踏襲している。
他のシナリオに比べ、やや垢抜けている印象を受けるその理由はまず、ヒロインが死という未来を背負っていないという部分が大きい。もちろん最終的には望むようになるが、このシナリオで描かれている大部分はそれ以前であって、その理由は、このシナリオの帰着を鑑みれば当然のことである。あのような終わり方になるのは、主人公がそれまでにヒロインと過ごした日々があるからだ。
このシナリオでも、前回のシナリオと同様に、主人公は主人公なりにできることをやろうとする。ここで主人公のやった(やっていた)ことこそが実はこのシナリオにおいて重要で、それに対する主人公なりの回答こそがあのようなエピローグに繋がっている。それをどのように捉えるかはプレイヤーの自由だが、結果、多くのプレイヤーが望んでいたような流れでの終わりにはならなかった。結局そこまで描く必要がなかったのである。
洗練された他シナリオに囲まれて異質(現段階で)に見えるシナリオではあるが、だからこそ悪いということもないし、良いということもない。全てはプレイヤーが感じた通りなのである。



7月31日(金)01:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

ナルキッソス3 死神の花嫁

非常によくできているとは言い難い

無印の頃から言われているように、この作品はあくまでそう感じたままの作品である。プレイヤー自身が、このシナリオを通して何を思うかは私の知るところではない。それ故に、私はこのシナリオに対して高い評価を与えることはできない。
シナリオコンセプトはやはり無印と同じものを踏襲しており、ただ視点が異なるということ意外は、一度でも無印もしくは2をプレイされたことがある方ならばほぼ予想の付く(ヒロインの)終わり方である。しかし、この部分こそがこの作品の素晴らしいところで、描かれるキャラの立場を変えるだけで、こうまでも多種多様な捉えられ方が生まれるのだということを改めて認識させられる。それはシナリオ中で主人公が悟るのではなく、プレイヤーである我々が導き出した答えであって、その答えはまさに十人十色なのである。それを容認した上で、作品の捉え方に自由を与えた片岡氏の思考の深さには脱帽する他無い。
無印ではセツミの死と自らの死を重ねる主人公が描かれた。2もほぼそれに近いが、逆の視点が盛り込まれた点でやや理解に困難が生じた。どちらも主人公が近いうちに亡くなることが明らかなことから、ほとんどのプレイヤーが少なからず悲壮感のようなものを感じたことだろう。今回のこのシナリオは、主人公の背景に自らの死を置かないことで、生きる者が死にゆく者をどう捉えるかが思考の中心となると思われるシナリオとなっている。

やや蛇足部分の目立つシナリオ

非常に洗練された内容しか描かない、描いてはならないシリーズの作品であるため、細かい部分でやや蛇足に感じられる部分があることは否めない。具体的にどの部分が蛇足に当たるかはネタバレになるためここでは紹介できないが、基本的にシナリオは(展開上)必要と思われる必要最小限の内容とし、登場キャラも端役まで含めて最小限に留めるべきである。これは物語を描く上で昔から言われてきたセオリーである。
しかしながら、シナリオ担当は片岡氏ではないにも関わらず、ここまでナルキ独特の雰囲気を崩さずに描けたことは賞賛に値する。登場キャラの微妙な台詞回しを除いては、無印や2に合わせても特に大きな違和感は生まれない。元々キャラの感情として描かれる内容を全て省いた描き方がなされるのだから、ライターの癖も目立たなくなると言えばそうなのだが、ほぼ最後までそのルールがしっかり守られていることは、複数のライターが関わっている作品としては非常に珍しい。別名義ということでなければ、おそらく推敲には片岡氏が強く関わっていたものと思われる。

賛否両論あるであろうエピローグ

さて、これからプレイされる予定の皆様は、このシナリオのエピローグをどのように捉えるだろうか。
実はこのシナリオ、このエピローグを以ってして見事なまでの纏まりを見せている。一方で、そこまでの主人公の行動を自らが否定するとも捉えられかねない行動について描かれる。そのため、ある意味ではその前のチャプターを以ってこのシナリオの終わりとしたほうが、主人公すなわちプレイヤーとしてありのままだけを描いた作品の終わりとしては良いようにも思われる。
ナルキ独特の、統計を示すあれはエピローグにある。とにかく、このシナリオをどう捉えるかによって、エピローグの見方も大きく変わってくる。これは私個人の勝手な予想だが、ブラックジャックが好きな人は、エピローグを挿まない終わり方の方を好むと思う。



7月25日(土)21:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

帰宅後報告

帰宅しました。

秋葉原探索された皆様はお疲れ様でした。



7月21日(火)00:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

今週の日程に関して

上京後の予定に関して

14日より行われる学会のセミナーという名の業界のドンとの顔合わせに参加するために上京することについては、これまでにも定期放送内で語られた通りである。
また週末の三連休に合わせて、私はしばらく東京に滞在することを予定しており、このあたりの動向についても、定期放送内で腹の内を探るような話し合いがあった次第である。前回の放送を聞いていない者も多いと思われるため、その内容をここに記す。

秋葉原出現の可能性

上京してまずプライベートにやることと言えば、本場での仕入れがまず考えられる。目下の予定では、金曜日のセミナー終了段階で、まず下見が行われる。三連休に向けての情報と、凡その相場を知っておくことは、秋葉原での巡礼に望む上では欠かせない行為となる。可能性は低いが、先着イベントを仕込むショップがある場合には、常に近場にスポットがあるわけではない私としては、徹夜も辞さない構えで望まざるを得ない。
目下のところ、三連休初日が個人的勝負日として設定されており、この日は一日中秋葉原にいることは明らかである。何故初日なのかについては、これはその後の予定等が多々組まれているためである。ただしやむを得ない場合により、予定を変更することもあり得るが、その場合はなるべく現地からもこのblogを更新できればと思う。
深夜便での上京を予定しているため、セミナー初日の午前中は会場付近を徘徊している可能性がある。会場は某大学であり、しかも秋葉原に比較的近いため、心当たりのある学生諸君は、怪しい風体の男に出会ったらお声を掛けられたい。

そこに私がいるかどうか

どうしても私を特定したいという諸兄がおられるため、今回は秋葉原出没時に限り、ある目印を設定することとなった。目印はサンダルであり、特定の際は「サンボはどこですか?」とお声を掛けられたい。小雨決行とし、大雨の場合にはblogの更新をお待ちください。
特定の場合には「よくわかりましたね」と返答を返すつもりでいるが、景品は一切無いため、あくまで個人の満足程度の人探しゲームである。積もる話がある場合には、接待は受け付けるが、くれぐれも盗撮等の法律に触れる行為だけは避けるようお願いしたい。
出現率の高いポイントについては、先日の定期放送内で述べた通りである。少なくともショップが閉まり始める時間帯までは徘徊を繰り返しているため、一日中そのどこかにいれば、一回はすれ違っているはずだ。

その他の日程

秋葉原の件とセミナー以外の自由な時間では、ほぼ間違いなくラーメン屋を巡っているだろう。二郎については、いつ、どこの二郎に出没するかは不明であるが、必ずどこかの二郎でロットバトルを挑むため、上級者は私にバトルを申し込める体勢でいれば、おそらくモチベーションも高い状態で維持できるだろう。
宿は私が上京する場合において恒例の北千住付近である。もしくは新宿、渋谷付近の漫画喫茶になるが、今回はオフィシャルな所用のため、平日にこれは行わないだろう。
上京期間中のblogの更新は未定である。更新可能な環境にあった場合に限り更新する。


情報は以上となる。特定に挑む諸君には健闘を祈る。



7月14日(火)01:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

音楽の神 マイケルに捧ぐ

大分遅れてしまったが、ここで改めてMichael Jackson氏への追悼の念を表明したい。

既に私の放送をお聞きの皆様はご存知のことであろうが、私は氏の生前からファンであることを公言してきた一人である。一般的に、私の年齢とさほど変わらない方々からすれば、氏を知るのはあのあまりにも有名なThrillerのビデオクリップもしくは教育機関において音楽科目で紹介されるWe are the Worldぐらいであろう。今、このようなかたちで氏を知らない若者にも再評価されている姿を見ると、なんとも複雑な気持ちなのだが、私は彼のことを信じている以上、ここで挫けているわけにはいかないだろう。マイケルはそんなことを望んでいないのだ。我々は更なる未来に向けて、マイケルが語った想いを後世に残していくべく活動すべきなのだ。

残すべき名曲たち

氏は偉大な楽曲を数多く遺した。そのためその中から厳選することすらも憚られることなのだが、Jackson5時代から含めて、最低でも聞いておくべき名曲をいくつかラインナップしたい。
凡そ名の知れている楽曲についてはここでは触れない。今後いくらでも目に届くところで聞けるだろうし、それこそが氏の願いであるはずだ。私はそう思っている。

ABC
言わずと知れたJ5時代の代表曲。これを知らずしてマイケルファンは語れない。超有名曲でマイケルに興味を持ったならば、ここから時代を追ってマイケルの人生を学ぶべきだろう。

I'll be there
何故マイケルがここまで世界的に有名なのか。その答えはこの曲を聴くだけで誰の耳にも明らかとなる。私の記憶が正しければ、当時マイケル11歳である。

Dancing Machine
エンターテイナーとしてマイケルが他の兄弟たちより抜きん出ていたことは確かだろう。だがJ5は決して彼一人で成り立っていたわけではない。この頃の経験が、その後の彼の人生に大きな影響を与えることになる。

Off the wall(アルバム)
最も完成度の高いアルバム。ここに含まれる全ての楽曲がいわゆる「神曲」であり、特にRock with youは私も歌詞を暗記したほどの名曲である。ビデオクリップでは当時最新の撮影技術が用いられており、その点でも価値は高い。
まだ世界のエンターテイナーとしてでなく、一人の歌手として自立を目指している印象が強く、80年代後半以降のマイケルの楽曲に見られるメッセージ性はこの頃まだほとんど無い。このアルバムのヒットが、後続のThrillerへの布石ともなっているのだが、マイケルがまだ「歌を歌う」ことを主体にしている点で、他の彼のアルバムとは異なる。そうであるが故に、マイケルのファンである一人が、どのようにマイケルが好きなのかを問われる一枚でもあるだろう。

You Are Not Alone
これを語らないマイケルファンはモグリと言わざるを得ない。一般的にも知名度の高い楽曲で、出会いや別れの場といった、人生の節目に聞きたい一曲。

Childhood
マイケルの心はいつも純粋だった。だが純粋だった故に世間から見放され、多くの冤罪を背負い続けた。彼の疑いようの無い心は、この曲の歌声から聞き取ることができる。

Ghosts
90年代版Thrillerといえばこれのことである。Thrillerのクリップと見比べながら楽しむこともできるが、特にファンでもない人はその変わりように目がいくことだろう。
彼が画面の前にいる我々をいかにして楽しませるべきか、その技術の結晶がこのビデオクリップに全て詰まっている。


知ってる曲名もいくつかあったかもしれないが、これを期に、キング・オブ・ポップの本当の姿を目にして頂きたい。



7月1日(水)00:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


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