HENTAI & English learning room
 
エロゲと英語のブログ
 


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朗読スレで何が起きているか

避難所なにあれ?

どうなっているか気になって何気なく開いてみた朗読スレ避難所。しかしいつの間に定期は自重するべきという流れになっていたのか。議論すべきは予約制の是非であったはずなのに、何か恣意的なものを感じずにはいられない。定期的に放送する連中がいなくなればいいことだという最も過激な意見と捉えることも可能だ。
テンプレを改正するにしても、求められるのはあくまで今この状況を明文化することだ。私が物議を醸した際もそうであったが、何か革命的なものを起こそうとしているようにでも見えていたのだろうか。ログをある程度読み返してみるも、一部が勝手に予約制導入のルールを考え、それをバッシングすることで、逆に新たなルールを盛り込もうとしているように見える。
スレ住人であれば、現在のスレの暗黙の了解もある程度理解できているだろう。現状維持を望むのであれば、何故それを明文化しようとしないのか。ただ「あらかじめ放送時間をスレに告知しないでください」という文章を盛り込もうという提案で済む話ではないか。それも「自由」だと考えるのであれば、「予約してもいいし、急に来てやってもいいよ」と文章化できる。このように文章化できれば、それは当初の私の意見そのものだ。

定期放送に関する所見

スレにおいて、「定期放送」という概念を最初に導入したのはおそらく私であろう。だが、ここでもう一度考えてもらいたい。私がスレで一度でも放送時間を予約したことがあったか?
私の記憶ではそのようなことは一切無い。告知はあくまで個人のblogで行ってきた。それはスレ住人の全てが見るべきものではなく、あくまで私の放送を聴こうとする者への告知という働きしか持っていないことは明らかである。すなわち、スレとしてはあくまで自由な時間での放送であるのだ。更に言えば、いつも同じ時間に来る朗読者でしかないはずなのである。先客がいれば、ちゃんと終わるまで待っているかもしくは延期するし、少なくとも体面上ではスレのルールに従っている
今検討すべきは、あくまでスレの範疇を出ない。スレだけを見たときに、私がそこまで目立ったルール違反を犯しているようには思えないのだが、果たしてどうだろうか。それとも、私に今すぐラジオ専用blogを閉鎖しろとでも言いたいのだろうか。それならば私は真っ向から反対意見を述べなければならなくなるだろう。

古参は空気を読めるか

このあたりも面白い意見だろう。私は避難所では放送しないと宣言しているので、事実上の村八分宣言と受け取ることもできる。しかしここまで過激な意見を述べる住人はいないと信じたい。単に新人がいれば放送途中でも裏に回れという意見であると受け取る。このあたりは譲り合いの精神を尊重しようという考えであるわけだが、途中でトイレから出てこれる人間はそういないわけで、同じように朗読の途中で流れを切ることは個人的にモチベーションの低下に繋がるため、申し訳ないがここは朗読に対する個人的な捉え方の違いにより反対せざるを得ない。これができる方はどんどんやるべきだろうが、おそらく私はできない
ただし、朗読終了後の雑談中であれば私でも十分可能である。ここだけは間違った捉え方はしないようお願いしたい。

避難所には書き込まない

ここもあくまで私個人のblogだ。よってスレに対しては何ら影響力を持たない。この記事に誹謗中傷のコメントを残すのも自由であるが、それも私個人へのあてつけでしかないことをよくご理解頂きたい。
私は避難所スレには書き込まない。呼ばれたりしたら書き込むこともあるかもしれないが、私は影響力の強い立場にいるようなので、このような場で意見を述べるべきではないだろう。
スレも新しくなったところだ。人が増えるであろう夏休みあたりを目標にして、ゆっくりと討論していただきたい。



6月23日(月)05:37 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理

ニコ厨ここに極まれり

幻想郷に行きたい人多すぎワロタ

この手のニコ厨は以外と多いようだが、現実問題、幻想郷なんかに行ったら一日でガメオベラだろう常識的に考えて。どうせ目当てのキャラにでも会いに行ってピチューンとか暢気なことを言いながらそれはつまり死ぬということではないのか。現実的に考察すれば、命を失う危険を極力避けた上で出会えそうなキャラと言えばそれこそ霊夢か慧音ぐらいだろう。公式設定から察するに、このキャラはどちらも比較的さばさばとした性格であるので、このコネを利用した他キャラとの出会いというものも考えにくい。ここから出会いフラグ発生の可能性があるキャラといえば、まず妹紅や魔理沙といったあたりか。妄想するのであれば、まずこのあたりの前提を考えることから始めたほうが、わりと自然なストーリーを脳内で作り上げることができるだろう。不思議な力が使えるようになるとか、厨設定を叩いておいて自らがそれかよと問い詰めたくなるようなお花畑な妄想は論外だ。
妄想を口外できるだけの度胸があるならば、聞かれてもある意味恥ずかしくないぐらいに洗練されたシナリオを用意してもらいたい。もしくは、シナリオ性を完全に度外視したハーレム世界を構築するかのどちらかだ。その妄想力に対する評価ぐらいは引き受けてやってもいい。とにかく議論するに値する内容を持って来い。



6月20日(金)15:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

朗読スレの議論に関して

所見をラジオ専用blogに掲載しました。
興味のある方はご参照ください。



6月19日(木)00:18 | トラックバック(0) | コメント(45) | 趣味 | 管理

はまじ

奨学金関連の件

今月分未納でフィニッシュです。
口座名義の確認そして変更まで行ったはいいが、採用通知配布段階で手続きしておいてこれはあり得ない。一ヶ月の生活がかかっている私に更に一ヶ月もの修行を科すとは、育英会改め日本学生支援機構もやはり日和見公的機関のつもりでいるのか。しかしこうなってしまった以上はこの一ヶ月をどうにか乗り切るしかあるまい。明日から再び一日一食の生活に戻るしかあるまい。
昼食だけは体面上、友人と同伴せざるを得ない。それ以外は可能なところまで食費を切り詰めることで生活する。やはり主な手段としては、裕福な家にパラサイトして、例の勝負に勝つというものだろう。納入日が6/11と聞いて、頭が禿げ上がるほどwktkしながらその日を待っていたというのに、それから二日経っても音沙汰無しだったのだから流石の私も学生課に突撃せざるを得ない。まさに「ゆっくりした結果がこれだよ」の状態である。
最初から書類に不備を作るなと言われたらそれまでであるが、こうなってしまった以上はこの一ヶ月間、最低の男として全ての人脈をフル活用するとしよう。


研究室をどうするか

この時期になるといよいよ配属先の醜い奪い合いがクラス内で本格化する。私の通う大学はセラミックスをはじめとする無機系の研究室の人気が高い。8割方が無機系を希望する中で、牽制の意味も兼ねた「研究室どうする?」の質問の押収が最近は特に酷い。もちろん私も無機系を希望するが、特にエレクトロニクス分野に近い研究を行える研究室を希望したい。例の質問に対する私の答えはいつも「学科すら間違えた」であるが、実は密かにこっちの学科に進学したことも決して間違いではないと思っている。「なんで電気系に行かなかったの?」という問いかけは、私に対しては大いなる褒め言葉であるが、それを分かっているならば、どうかその席をお譲りいただきたい。半導体やエレクトロニクスは化学的には無機系の世界だ。
有機系であれば今まさに有機ELなどはナウでヤングな研究分野であるが、残念ながら我が大学にそれを扱う教授はいない。表示デバイスとしての液晶開発の時代ももう終わった。となれば男は黙って無機系の研究室を希望するのみだ。


最近エロゲやってない件

春休みに大量に崩して以降、全ての二次元系コンテンツは半封印状態にある。業界の事情についても、最近は全く耳にしないので、どこのメーカーがやらかしたとか、そのあたりの情報がある者は是非教えていただきたい。
efの続編が出たと聞き及んではいるが、そのあたりはどうだろうか?更に続編へと続いているのか、そして新海氏のムービーはどうだろうか。
型月の新作エロゲはまだだろうか。女性に媚びなど売っていないで、エロゲ的な意味で硬派な作品を製作していただきたい。
夏休みまで、あと2ヶ月。



6月12日(木)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

鬼の一週間終了の件

地獄はまだ終わらない

土曜だというのに、またも朝から補講とは、なかなかいい度胸をしているようだ。いわゆる徹マンで廃人と化した私がそれを快く受け入れようではないか。
さて、学校もこの時期となると、いよいよ中間テストの人も多いことだろう。私は丁度、この一週間が山場だったわけだが、かなり久しぶりに脳の疲れを体験するほどの強行軍を敢行した。毎日テストがあるだけならば、それは誰もが高校時代に味わっていることなのでまだいいのだが、これに実験のレポートが加わったとき、どのような障害を及ぼすかについては、特に理系の大学生であれば重々承知のことだと思われる。更にこのレポートが最も厳しいとされるテーマのレポートだとすると、その味はまた格別である。
JABEEという制度がある。関係者であれば、誰もがその名を聞いた瞬間に反吐が出ることだろう。しかしながら、認定校の厳しさを乗り越えてきた私たちにとって、それは一種の自信へと繋がっている。しかしどうだろう、特に文学部などの文型学科のキャンパスライフを目の当たりにした時、我々のアイデンティティは脆くも崩れ去ってしまう。大学生活はもっと楽しいはずだった。二次元の世界に生きている友人を横目に「きめえええええええええ」とか言いながら密かに笑えない自分に自己嫌悪してみたり、そんな楽しい時間が過ごせるはずだった。
どうしたものか、未だこの大学に来てよかったとは思えない。

夏休みを考える

なんという集中講義。これは間違いなく休ませるつもりは無い。お盆に帰省したら終了とは、まるでどこかのサラリーマンを連想させる。
最近は新しいエロゲをプレイする暇すら皆無であるわけだが、さて今年の夏休み企画朗読は、予定では水夏であったわけだが、ぼちぼちリトバスを解禁する考えもある。このあたりはラジオ専用blogで告知したい。



6月6日(金)16:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

5 [cm/s] 3

秒速5センチメートル 第3章 

表題と同じタイトルを与えられた第3章について述べるには、やはり同時出版された小説版を詳しく紐解く必要があるだろう。このような考えでいけば、残念ながらこの映画は販促用ムービーの域を出ないと言わざるを得ない。しかしながら、私はこのような考え方をしてほしくないという新海氏自身のメッセージをこの章に感じた。映画の解釈はさておき、捉え方は個人の自由であって、私はそう感じたに過ぎないのだが、小説版を呼んで「少し救われた」という類のレビューを見ると、私は逆にこの(映像)作品にこそ大きな意味が込められていると感じられるのだ。
この章の脚本は極めてネガティブな内容を含む。これが先に話した新海氏独特の表現法によって見事に表現されているわけだが、脚本に一貫性を感じられる必要最小限の情報量だけを映像化した内容は、つぎはぎは内容を観客自身に考察させる「好奇心」を抱かせる。それはもちろんネガティブな方向にしか進まないよう情報が与えられるが、その間に生まれる推論と言うものは、まるで視聴者自身の経験に基づいてのみしか生まれない。すなわち、そこに映し出される姿はあなた自身であって、そのネガティブな過去というものは、言うまでもなくあなた自身の過去に基づいているのである。こういった視点からこの作品をみると、この章はなんとリアルなことか。社会に押しつぶされそうになりながら、それでも前へ進もうと努力した結果の挫折と現状。まるでスクリーン上の主人公を救う手立ては皆無のように感じられる。そこに救いがあるとすれば、それは見事な桜の花びらが舞い散る春の季節。あの頃の美しい記憶。そして、それらは全ての人間がそれぞれ心の片隅に持つ記憶。それを持ちながら、現代の人間、ひいては社会が動いているのだ。

最後に一本とられた

山崎まさよし氏の歌う華麗なあの曲のタイトルは、皆ならば既に把握しているであろう。つまりはそういうことである。これはおそらく小説版の本作を読めば、また違った新海氏のメッセージを受け取ることができるようになっているはずだ。
私もできることならば、時を中学三年のあの頃にまで戻したい。これはいずれラジオ内で語る時が来たら話すことにしよう。
人生の転機は、長い一生の中で3回訪れるそうだ。それは初恋(失恋)、就職(進学)、結婚(離婚)だとも言われる。なんということか、これらはどれもこの作品の中で重々語られているではないか。作中では基本的に、このどれもが失敗とも捉えられる表現で描かれているが、ここから考えても、この作品は20代後半~30代前半という年齢層を主なターゲットとした作品であることが窺える。この年代ともなると、誰もが就職し、そろそろ結婚もして子供を持っていても何らおかしくは無い世代である。そんな彼らの心の奥底を突くようなこの作品を制作した新海氏の悪巧みに、私は思わずにやけてしまった。彼もなかなか焦らしの上手いプレイボーイなのかもしれない。

あなたにチャンスは残されているか?

ジブリ作品の中でも特に破壊力が高いとされる耳をすませばを見て鬱になるとすれば、それは確実に過去の思い出を引きずっている証拠だ。ならばそれを払拭するために、今すぐにでも動き出そう。転機を逃してしまえば、次は将来秒速を見て、激しく鬱に見舞われることになる。私はこれこそが、この作品を見た上での帰着点なのではないかと思う。



5月30日(金)01:57 | トラックバック(0) | コメント(3) | 趣味 | 管理

5[cm/s] 2

秒速5センチメートル 第二話 コスモナウト

主人公の成長物語ともいえるこの作品において、最も視聴者の心をくすぐる可能性が高いのは、この章であろう。
中学~高校生時代は誰もが思春期に突入する。その中での体験や思い出は、大人になった今でも鮮明に記憶していることが多い。同時に、これらの記憶は甚だしく美化されている場合が多い。その部分を突くような脚本を用意することは、プロにしてみれば大して難しいことではないが、やはり極限まで洗練された世界でそれを表現されては、誰もがあの頃に思いを馳せざるを得ない。
まるで中学生日記だ。全く工夫の無い「別れ」と「恋」を表現した脚本はむしろそれが逆に澄んだ世界観に見事に調和している。この部分は、昨今のTVアニメでも見習うべき要素が多いのではないだろうか。

高校生とは思えない青さ

何故この脚本に高校生を充てたのか。だがしかし、田舎しかも離島であれば、どうにか納得できないこともないが、それ以上に大事な「何か」を表現するにはこれも間違いではない。そもそも私のこの考え自体、新海氏の描きたかった世界観に対しては不純物であるから、ここは「とにかく好きで好きでたまらなかった」というまっすぐな気持ちを素直に受け止めて考えるべきだろう。この純粋な気持ちは、どんなに歳をとっても変わらない。そんなことを感じさせる物語である。
種子島を舞台にしている以上、ロケット宇宙といった要素に大きな意味を持たせていることは明らかである。これを通して何を表現したかったのかについては、さしてはこの作品全体の根幹をなす要素であるため、ここでの明言は避けたい。ここで私が注目したのは、その分かりやすさである。中学生以下には年齢的に少々分かり辛い部分もあるが、それ以上であれば誰もがこの章の意味を理解できるだろう。難解な要素が多かった新海氏の作品にしては珍しく、これは全体を通して新海作品の入門用としても薦められる。

いたって普通の脚本

映像美を追求した新海氏らしい脚本でもあると言える。映像がある以上は「聞かせる」のではなく「見せる」ところに焦点を当てたスタイルは、このような特徴の無いシナリオを見事に宝石へを変える。しかしながら、それと同時に、極限まで絞り上げた音声の持つ意味の大きさも着目すべきだろう。ひとつひとつの台詞が、視聴者である我々の心に響く。届くことのない「想い」を叫び続ける声は、いつまでも頭の中でハウリングする。その様は、まるで過去に引きずられる主人公の心の中そのものだ。
主人公の目の先には、一体どのような世界が見えているのだろう。それはこの章を「見る」ことで解決される。



5月26日(月)19:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

5[cm/s]

秒速5センチメートル 第一話 桜花抄

今までこれを見ていなかったことに気づいて良かった。新海氏の動画編集能力の秀逸さは言うまでもないが、彼が立派に一作品仕上げるだけの実力があるか否かについては、ここまで評価を保留していた。ストーリー性を映像に加える作業自体には、未だ不慣れな部分が見て取れたからだ。第二作の雲のむこう、約束の場所について言えば、やや上級者向け、つまりは本を読む人や映画を良く見る人を対象とした脚本が、自身の演出の評価を難しいものとしている(何が言いたかったか)。この程度の映画の意味さえ汲み取れないようでは話にもならないのだが、私自身は青森県出身であることが、舞台を同じくするこの作品の評価を難しくしている。そのため評価に関する明言は避けた。どんなに歴史背景が違おうとも、田舎がこんな生温いわけがない

「耳をすませば」という作品がある

似ている。描こうとしたことも、非常に近いところにあるだろう。監督の違いは、やはり演出面によく現れており、新海氏は極力言葉での表現を避けることに特徴がある。これは背景演出のレベルの高さにリンクして考える必要がある問題であって、この方法が直接悪いと評価することは無い。
さて、この作品は全部で3部から構成されている。今回はその1つめを評価するわけだが、あくまでこれ1つでの評価であって、3つ合わせたときの評価とは異なるということを先に断っておきたい。
まずは新海氏得意の背景演出面についてだが、これに素人が文句をつけられるとでも言うのか。独特の世界観を出すために必要不可欠な要素は今回も健在である。更にこの演出は音響効果面へも大きな影響を与えている。世界観をできるだけ透明に保つために、「雑音」を極限まで排除した成果は、場面の起伏を表現するためのファクターとして細部に表れている。
さて、問題の脚本について述べよう。結論から言うと、大分良くなってきている。しかしながら、悪い部分が抜けきっていないのは残念なところだ。25分という短い尺の中に纏めるというのは難しいことかもしれないが、それを纏めるのも実力のうちだ。この作品では、25分に纏めるために要点だけ纏めてみましたという後味の悪い印象が残った。小説があるということなので、そちらにも目を通しながら判断する必要はありそうだが、作者は「年」という単位では時間を重いものと見なしているようだが、「分」という単位では、やや軽いものと見ている印象を受ける。経験した者にしか分かりづらいのかも知れないが、雪の遅延は人身事故の遅延とは全く異なった感情を生む。それを背景演出以外の方法で演出さえできれば、最も重要なカットでの盛り上がりは更に大きくできたのではないか。逆に、この程度だからこそ深海氏の作品だという意見にも私は頷ける。映画の評価とは往々にして難しいのだ。

あの頃の俺達は若かった

中学生が自由に電車を乗り継ぎ、ちょっと遠出する。残念ながら、この感覚は田舎者の私には無い。新海氏の作品には何かと鉄道が登場するが、我々田舎者の考える電車というものは、常に遠くへ出かけるためのツールであって、一人で頻繁に使用するようになるのは高校生以降である。そのため前作では比較的気にならなかったのだが、1000円以上する切符を持っている中学生を見たら、普通は不気味に思うものだろう。そのあたり、呼び止めもしない駅員などを見ていると、さすが都会は違うなと思ってしまうのである。
この作品、1995年という舞台設定だそうで、携帯を持たないという部分では、人間の温かみを描くためにはとても有効に働いている。当時13~14歳であるから、この作品は今の25歳以降、つまり我々よりもいくらか年上の世代が主にこの作品のターゲットとなる。彼らはこんな時代を懐かしく思ったことだろう。しかしながら、このような時代にこの世代を生きていない我々でも、どこか懐かしさを感じずにはいられないあたり、この作品の完成度を感じさせる一面である。



5月23日(金)07:14 | トラックバック(0) | コメント(2) | 趣味 | 管理

大本営発表

本日、無事に叔父となりました

今日この日私は叔父となる。なんとなくもどかしくもあり、新たな家族が増えることに対して異常な喜びと共に、どうしようもないやるせなさである。
普通、こういったことは年功序列であるべきだろう。しかしなんということか、私は長男であるため、この歳にして枢密院議員にような扱いを受けるに至る。この感情を上手く文字にして表すことは難しいが、少なからずこの歳にして弟に先を越されるという経験を味わう者は稀有ではないだろうか。せめて私が大学を卒業してからであれば、納得もできるのだが。

その影で、私は重大なミスを犯した

だれもが了承するだろう。女性にパソコンを貸してくれと言われたら。もちろん私も二つ返事で了承である。パソコン無くてレポートが書けないと頼まれたら、ともかくその先の期待はさておき、貸さざるを得ない。お礼を言われたときの、その笑顔のなんたる美しさか。これは容姿に関わらず、女性に与えられた特権であり、本能的な意味で男性はそれに従わずにはいられない。
もちろん危険因子を含むHDDの中身はハードごと取り外し、レポートを書くにあたって必要最低限のハードを搭載し、わざわざ彼女の家に上がりこみ、OSのインストールを開始する。ここで重要なのは、決して邪念を持たないことだ。もしその可能性があるならば、夜遅い時間になってくると向こうからモーションをかけてくる。結果的には、もちろんここでモーションをかけられるわけが無かったが、大変美味しいご馳走を頂いたので、これはこれで良しとしよう。
さて、このことから分かるように、現在我が家にはPCが一台しかない。となると、支障をきたすのは特にラジオ放送であって、次回の放送までにはどうにかこれをカバーできるような環境を整える必要がある。
言うまでも無くネットよりリアルだ。皆様には、このあたりをどうかご了承いただきたい。



5月21日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

友人、自分の嫁を語る

嫁とはそう簡単に手に入るものではない

某友人が、自分の彼女のことを「嫁」という代名詞を用いて表現する。たとえ対象が二次元であったとしても、この「嫁」という表現は実際のところ、そう生温いものではないことを、ここで忠告したい。
現在ではめっきり変わってしまったが、嫁を貰うということはすなわち、相手の女性にとって、それまで暮らしてきた家族との決別を意味する。それだけの覚悟を決めて自分のところへ嫁いでくる女性の覚悟は常識的に考えて計り知れないものがある。このblogを見ている人は男性率が100%近いと予測して、このことについて語るが、一人の女性を占有できることの優越感もまた計り知れない。男性のこういった意見は所詮、雄としての本能の部分からくる超自然的な感情なので、口だけは達者なネット弁慶の多くがただこれを感情の赴くままに発言しているに過ぎない。だが、ここで私は思う。そう軽々しく発言できる奴ほど現実では異性との付き合いが上手くいっていないのではないかと。ネットスラングとして「萌え」という意味すら内包してしまっているので、そういった場合との区別分けも必要となるわけだが、自分の親も含め、先人たちの結果や先行きを考えると、こうも軽々しく発言できるのは、独身の男性のみであることは少なからず間違いない。彼らは果たして結婚の奥にあるその「責任」を最後まで、すなわち老後まで負うことができるのだろうか。

二次元は確かに男の理想郷

正直に言おう。理想的な女性などこの世に存在しない。裏を返せば、絶対的に受け付けない女性もこの世にはいない。これは個人的な経験則に基づいており、異なった意見を持ってもらっても一向に構わないのだが、ここで言いたいのは、相手を一つの方向ばかりから見ないということである。どんな女性にも、何かしら可愛く思える一面を持っている。しかしこれも、単なる精神論に過ぎないことは、私も認めるところである。実際に女性と付き合う過程には、少なからず肉体的な関係を持たざるを得ない。この部分は圧倒的に個人との相性が試されるため、最終的な段階まで進む付き合いというものは、非常に限定されていくわけである。
結婚という段階に移行するのは、男性からすると別にある程度遅くなっても構わない。責任を負う立場として、自分なりに覚悟ができるようになるまで、特に何年かかっても悪いことは無い。しかし女性は対照的に、結婚したいタイミングというものを、個人レベルで計算して勝負に出ている場合がある。男性としてこれを嗅ぎ分ける嗅覚を持ち合わせるべきであり、同時に、このタイミングはほとんどの女性でほぼ同じ時期に重なりやすく、最も選択肢が広がる年齢層であることを意味する。
私ももちろん独身の身なので、結婚後のことについて語ることはできないが、親戚に結婚しなかった女性がいる立場の人間として、結婚しないことについては、いくらか見たことをそのまま語ることができる。もちろん、私はそうなりたくない
結局のところ、独身男性が考える「結婚」そして「嫁」の存在とは、理性と本能のジレンマだ。このジレンマに立ち向かうためには、これから多くの女性と知り合いながら様々な経験を積む必要があるし、また女性側なりの考えも理解する必要がある。面白いことに、これに熟練した人は須く結婚できていないことも付け足しておきたい。



5月15日(木)03:05 | トラックバック(0) | コメント(1) | 趣味 | 管理


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