| ゆとり世代との葛藤 |
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| 話してみたら余裕で通じた。
まず、前回の記事について、非常に誤解を招きやすい表現を用いたことについて深くお詫び申し上げます。ここで言う「ゆとり」という単語はあくまで「世代」を意味するために用いた単語であり、昨今ネットスラングで用いられるような意味での「ゆとり」という含みを持たせた同一の単語と同時に使用したことは、現在高校や中学校に通う方にとっては非常に不快に感じられたことだと存じます。
それより保護者もうちょっと理解しろw
流石に高校を出ていないというのならわかるが、あれだけ分子モデル(模型)も準備して実例まで見せているのに首を傾げられると私も正直困ってしまう。もうちょっと素直に驚いてくれても悪くはないはずなのだが、いかにも「どうせわかんないからもういい」という顔をこちらに向けるのだけはよしてほしい。非常に分子数の大きな分子を扱い、使用目的に合わせた性質を持つ材料の開発を行うと言っただけで諦める保護者が多すぎる。
何か難しいことを言いましたか?
現代の日本の教育がダメだと言っているわりにはその本人達こそ結構な理解力ではないか。特に八戸の学校に通うお子さんをお連れでいらした主婦全般。説明する前から説明不要と断られるとは思ってもいなかった。それに比べ津軽の保護者のなんと反応のいいことか。ハゲ親父の理解力のなさっぷりも異常だが、そのぶん何度か的外れな質問を私にぶつけてきたあたり、そのスタンスは素晴らしいと思う。その他にもいくらか頷いたりする動作を見せる親御さんもいた。
この経験を通して、私はあることに気付いた。それは最初から「難しい」と考えている人はそれを理解しようともしないということだ。「難しい」=「できない」ではなく「できない」=「やりたくない」という関係が成り立つようになった世界では、真の意味で「できない」と言えるレベルの知識を垣間見ることはできない。何をするにもまずは理解しようとする努力が必要だということである。それをせずに駅前留学なんてする人はいつまで経っても外国語は身につかず、それこそ「通っている」だけになってしまう。全く努力せずに知識を得る事など絶対にできないのだ。それを分からずに今日も「誰でも簡単に覚えられる!」という変なサブタイトルのついた参考書が売れてゆく現実は、全く人間の「楽をしよう」という本能の現れであると同時に、ある意味では学ぶことというのは宗教的に言う「修行」に近い行為であると言える。楽をしたいところを必死にこらえて学ぶ。これこそが真の意味での「強いて勉める」、すなわち「勉強」である。
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7月29日(日)05:26 | コメント(2) | 趣味 | 管理
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