| 俺たちに天使はいない |
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| ぼちぼち大きな用事も済み、クリスマスの準備も加速を始める季節となった。まずはその布石として、いくらか例の作品についてのレビューと紹介を記しておく。
天使など存在しない
この作品の意味するところは、言うまでもなく作品名そのものに表れているが、これを肯定の意味で捉えるか否定の意味で捉えるかによって、この作品の印象は全くの正反対となる。つまりEDまで進んだ段階で、ある程度これの解釈のための「余白」を残しており、結果的にそこまでのシナリオの重さが、ED終了時におけるこの作品の評価の分かれる大きな原因であることは間違いない。 ここで確かなこととして言えるのは、ただ天使はいなかったということだけであり、これは同時に、本編中で描かれてきた時系軸もしくはそれ以前にのみ言えることでもあって、それはそこまでの結果に過ぎない。もしかしたらその後に天使の存在をその目で確認できるかもしれないし、そうでなければその後もこの証拠を求め続けることになる。プレイヤーがどちらの意味で解釈するにしろ、その部分にプレイヤーの思考が入り込む余地を与えたことは、プレイ後の話題の提供という意味でもある種の正解だったのかもしれない。 おそらく一般的な作品と同じように、主人公=プレイヤーという視点を貫こうとするならば、同じような噂の立つ作品とは別の意味で、何故これをエロゲでやらなければならないのかという疑問が浮かんでくる。主人公はひたすらにマイナス的な思考を繰り返し、自暴自棄な行動こそが解決の手段と思っているかのごとく行動し、その結末がSEXという、プレイヤーの思考の逆を行く様は、通常のプレイヤーであれば落ち込むかプレイを断念するかのどちらかである。普通はどんな鬱ゲーであっても、現状を打破しようという選択肢と共に、それに従えない主人公という一連の方程式が完成しているものだが、この作品では選択肢を選ぶこと自体がBADENDへの近道という、全く別のベクトルでの「鬱ゲー」を提供しているわけだ。
原画師のファンでなければお奨めできない作品
シナリオをある程度楽しもうという輩は、初めからこの作品の対象には含まれていない。特にleaf儲はこの作品をプレイしたとき、一種の絶望を感じたのではないだろうか。というのも、この作品は2003年発売当時のleafが、当時のファンに向けて制作した一種のメッセージであると考えることができるからだ。表面上はWhite Albumに近いイメージを持たれるかもしれないが、果たしてED時にどれだけの人がそれに気付くことができるのだろうか。その結果は、実際にクリスマスが来るまで待つこととしよう。
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11月29日(木)21:07 | コメント(0) | 趣味 | 管理
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